レスラーノート

ランス・ケイド

LANCE CADE

本名:ランス・マクノート
1980年3月2日
ネブラスカ州オマハ出身
195cm 118kg

タイトル歴
世界タッグ(WWE版)
TWA・TV王座
HWAヘビー
HWAタッグ
得意技
ダイビング・エルボードロップ

99年、ショーン・マイケルズ主宰のインディ団体TWAに入門しデビュー。12月にFMWに初来日。 00年5月、アメリカン・ドラゴンを破りTWA・TV王座を獲得。 01年にWWEと契約。OVWで活躍後、HWAに転戦。 02年2月13日、オハイオ州デイトンでマイク・サンダースと組んでHWAタッグ王座を獲得。すぐに仲間割れして王座返上。2月20日、オハイオ州シンシナティでサンダースを破り、スティーブ・ブラッドリーをパートナーに指名してタッグ王座を獲得。3月12日、シンシナティでレイヴェン、ヒュー・モラス組に敗れて王座転落。3月15日、デイトンでスティーブ・ブラッドリーと組んでタッグ王座を奪回。4月10日、オハイオ州バタヴィアでアイスクリームマン、コーディ・ホーク組に敗れて王座転落。5月19日、インディアナ州ジェファーソンヴィルでHWAヘビー級王座を獲得。7月20日、バタヴィアでジョニー・ザ・ブルに敗れて王座転落。同日、王座奪回。7月21日、ジェファーソンヴィルでコーディ・ホークに敗れて王座転落。 03年、ギャリソン・ケイドの名でマーク・ジンドラックと共にWWE・RAWに登場し、タッグで活躍。 04年4月からシングルで活躍しはじめ、TAJIRIと抗争するが短期間でヒザを脱臼し欠場。OVWで再調整。 05年8月からWWE・RAWに登場し、トレバー・マードックと組んでタッグで活躍。10月、PPV「アンフォーギブン」で世界タッグ王座を獲得。11月に王座転落。その後タッグを一時解消したが、 06年5月から再びマードックとタッグで活躍。 07年5月に世界タッグ王座を獲得した。 08年2月11日、有明コロシアムでのRAWの日本公演でトレバー・マードックと組んでハードコア・ホーリー、コーディ・ローデス組の世界タッグ王座に挑戦。8分54秒、ホーリーのアラバマスラムにケイドが敗れた。2月12日、日本武道館でのRAWの日本公演でトレバー・マードックと組んでハードコア・ホーリー、コーディ・ローデス組の世界タッグ王座に挑戦。8分19秒、ローデスのDDTにマードックが敗れた。その後、マードックとのタッグを解散。クリス・ジェリコと組んでショーン・マイケルズと抗争。10月にWWEを離脱。 09年2月22日、ハッスルにカウボーイ・ランス・ケイドの名で登場。5月27日、ハッスルの後楽園ホール大会でレネと組んでマグナムTOKYO、TAJIRI組と対戦。12分43秒、マグナムの絶縁にレネがフォール負け。6月25日からアルマの名でマスクマンとなり、ゲドン(レネ)と組んで出場。7月5日、ハッスルの福岡国際センター大会での「アルマゲドンサバイバー」に出場し、モンスター軍副将としてハッスル軍の大将、マグナムTOKYOと対戦。4分27秒、前方回転エビ固めにフォール負け。7月31日、ベイダータイムの新木場1stRING大会でトレバー・マードックと組んでスコーピオ後藤達俊組と対戦。12分25秒、マードックのダイビング・ブルドックで後藤にフォール勝ち。8月2日、ベイダータイムの新木場1stRING大会でマードックと組んで大森隆男、アーロン・ニール組と対戦。12分49秒、ケイドのカウボーイ・ドライバーでニールにフォール勝ち。10月にWWEと再契約して2軍団体のFCWに出場。 10年4月、1軍に昇格することなくWWEを離脱。5月、全日本プロレスに来日し、ブードゥ・マーダーズに加入した。7月2日、後楽園ホール大会で太陽ケアと対戦。6分26秒、ラリアットで勝利。帰国後の8月10日、体調不良を訴えて救急車で病院に搬送。11日に「家に帰りたい」と訴えて退院。12日、妻に付き添われてテキサス州サンアントニオの実父の家に到着。13日、心不全のため急死。8月29日の全日本プロレスの両国国技館大会でレネ・デュプリと組んで世界タッグ王座へ挑戦する予定だった。