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ボーン・ソルジャー

本名:平澤光秀
1982年3月27日
北海道札幌市出身
187cm 104kg A型
タイトル歴:WWCカリビアンヘビー WWCプエルトリコヘビー
得意技:カリビアンデスグリップ ヒラボトム(ロックボトムと同型)

父親が指導する道場にて3歳よりレスリングを始める。中学3年で全国中学生大会70Kg級優勝。98年、高校2年で国民体育大会少年の部フリースタイル76Kg級優勝。99年、高校3年でインターハイ団体10連覇に貢献。01年、大学2年で全日本ジュニアの部フリースタイル84Kg級優勝。02年、03年、全日本学生選手権フリースタイル84Kg級3位。大学卒業後、一般企業にて営業職を経験しながら、04年国民体育大会96Kg級3位。05年、全日本社会人選手権フリースタイル120Kg級優勝。05年3月、新日本プロレスに入門。06年1月28日、後楽園ホール大会での飯塚戦でデビュー。4分29秒、逆エビ固めに敗れた。4月26日、鹿児島アリーナ 大会で裕次郎対戦し、5分51秒、逆十字固めで勝利。デビュー21戦目にして初勝利。08年3月25日、ZERO−ONE MAXの旭川地場産業振興センター大会で植田使徒と対戦。7分18秒、投げっぱなしジャーマンで勝利。09年8月9日、大阪府立体育会館大会でTAJIRIと対戦。7分37秒、バズソーキックに敗れ、試合後にグリーンミストを浴びた。9月には永田裕志井上亘スーパー・ストロング・マシンと共に青義軍を結成。10年9月12日の秩父市文化体育センター大会を最後にプエルトリコのWWCに長期遠征。9月25日、現地のデビュー戦で11人参加のバトルロイヤルマッチに参戦し、優勝。海外遠征初戦でカリビアンヘビー級王座を獲得した。その後もヒデオ・サイトーのリング名で、塩攻撃を得意とするヒールとして活躍。ニュー・サンファン地区のアパートにアメリカ人インディレスラーのCJと共同生活。10月23日、ABBADを相手に防衛戦。終盤にマネージャーから塩を受けとったところに、腕を蹴り上げられて塩が顔面直撃。直後に丸めこまれてフォール負けし、王座転落。11月27日、バヤモン・カンチャ・ぺピン・セステロ大会でプリモ・コロンと対戦。塩攻撃を狙ったところにトラースキックをくらって自らが塩を浴び、最後は8分31秒、スタナーにフォール負け。11年2月19日、カルリートスのプエルトリコヘビー王座に挑戦。ブロックバスターで勝利してプエルトリコヘビー王座を獲得。5月13日、アメリカ遠征してきた新日本プロレスのニュージャージー州ローウェイレクリエーションセンター大会に出場。IWGPインターコンチネンタル王座決定トーナメントに参戦し、1回戦で高橋裕二郎と対戦。8分28秒、東京ピンプスに敗れた。5月15日、新日本プロレスのペンシルベニア州アサイラム・アリーナ大会で内藤哲也と対戦。10分7秒、スターダストプレスに敗れた。帰国後は、ヒデオ・サイトーの名で狂乱ファイトを繰りひろげた。7月18日、真駒内セキスイハイムアイスアリーナ大会で永田と対戦し、9分56秒に反則負け。8月からG1に初参戦。8月1日、福岡国際センター大会での初戦でジャイアント・バーナードと対戦。9分47秒、バーナードライバーに敗れた。8月2日、福岡国際センター大会でランス・アーチャーと対戦。6分42秒、ファイナルデイズ(リバースDDT)に敗れた。8月5日、後楽園ホール大会で高橋裕二郎と対戦。9分25秒、東京ピンプスに敗れた。8月6日、愛知県体育館大会で真壁刀義と対戦。5分23秒、ダイビングニードロップに敗れた。8月7日、大阪府立体育会館大会で高山善廣と対戦。ランニング、半ズボン、麦わら帽子に虫取りアミと虫取りカゴという格好でリングに上がり、虫取りアミを高山の顔にかぶせた。試合は3分29秒、エベレストジャーマンに完敗。8月8日、横浜文化体育館大会で棚橋弘至と対戦。8分1秒、ハイフライフローに敗れた。8月10日、代々木競技場・第2体育館大会で矢野通と対戦。6分9秒、鬼殺しに敗れた。8月11日、代々木競技場・第2体育館大会で内藤と対戦。7分25秒、スターダストプレスに敗れた。8月14日、最終戦の両国国技館大会で永田と対戦。4分29秒、カリビアン・デス・グリップで失神させてのフォール勝ち。初のG1は1勝8敗に終わった。9月19日、神戸ワールド記念ホール大会で永田と対戦。9分24秒、バックドロップホールドに敗れた。10月22日からはじまったG1タッグリーグでは飯塚高史と組んで出場。5戦全敗に終わった。その後は飯塚と仲間割れして抗争開始。12月9日、ディファ有明大会でタイチと対戦。キャプテン・アメリカ的なデザインに新日本のロゴを取り入れたマスクとコスチュームで登場。「私の名前はキャプテン・ニュージャパンだ!」と名のり、正義の味方に変身。8分57秒、ヒラボトムからのカリビアンデスクリップで勝利した。12月14日、後楽園ホール大会でキャプテン・ニュージャパンとして登場し、石井智宏と対戦。5分52秒、カリビンデスグリップで絞めあげていたところに飯塚が乱入。イス攻撃をくらって反則勝ち。12月18日、くすのきホール大会でキャプテン・ニュージャパンとして外道と対戦。6分10秒、カリビアンデスグリップで勝利。12月24日、後楽園ホール大会でキャプテン・ニュージャパンとして飯塚高史と対戦。奪い取ったアイアン・フィンガー・フロム・ヘルをレフリーに手渡した隙をつかれてスリーパーホールドを決められ、10分5秒、レフリーストップ負け。その後もキャプテン・ニュージャパンとして前座戦線で活躍。12年2月19日、仙台サンプラザホールでの「ALL TOGETHER」第2回大会でキャプテン・オールジャパン(浜亮太)、キャプテン・ノア(モハメド・ヨネ)と組んで天山小島志賀組と対戦。10分27秒、天山のアナコンダバイスにキャプテン・ニュージャパンが敗れた。4月8日、後楽園ホール大会でIWGP王者のオカダ・カズチカと対戦。6分55秒、ツームストン・パイルドライバーからのレインメーカーに敗れた。6月10日、後楽園ホール大会で天山、小島と組んで矢野、飯塚、YOSHI‐HASHI組と対戦。9分50秒、矢野の赤霧にキャプテンが丸めこまれてフォール負け。試合後、矢野にコスチュームをハサミで破られ、白ブリーフ1枚の姿で退場した。11月15日、渋谷アックス大会で初代NEVER無差別級王座決定トーナメントに出場。1回戦でK−DOJOの滝澤大志と対戦。7分22秒、MFF(変型シュバイン)に敗れた。11月19日、渋谷アックス大会で高橋裕二郎と対戦。5分55秒、東京ピンプスに敗れた。11月20日から始まった「WORLD TAG LEAGUE」にIWGP王者の棚橋と組んで出場。「棚橋君!」と試合中にエールを送り、棚橋もマスクをかぶって入場するなど、抜群のチームワークを発揮。リーグ戦を盛り上げるチームとして活躍した。リーグ戦は6戦全敗に終わった。13年2月9日、ノアの後楽園ホール大会で森嶋猛と対戦。5分57秒、バックドロップに敗れた。11月23日から始まった「WORLD TAG LEAGUE」に棚橋と組んで参戦。リーグ戦を1勝5敗で終え、最下位に終わった。12月21日、後楽園ホール大会で中邑真輔と対戦。8分42秒、ボマイェに敗れた。14年4月13日、台湾大学総合体育館大会でキャプテン台湾に変身し、後藤洋央紀と組んでカール・アンダーソン、ギャローズ組のIWGPタッグ王座に挑戦。9分31秒、マジックキラーをくらってギャローズにキャプテンがフォール負け。 16年4月10日、ハンタークラブ結成を宣言したヨシタツに対して加入を熱望。その後もハンタークラブの見習いとしてヨシタツと組んで出場。9月12日、ヨシタツがキャプテンのハンタークラブ加入の可否をTwitterの投票で決めると宣言。9月25日、神戸ワールド記念ホール大会でヨシタツが結果を発表。投票の結果、ハンタークラブ加入に失敗した。直後にヨシタツを襲い、外国人ヒール軍団「バレットクラブ」に加入した。10月8日、ボーン・ソルジャーに改名し、ヒールファイトでヨシタツと抗争。10月15日、国立台湾大学総合体育館大会でヨシタツと対戦。5分53秒、急所攻撃で反則負け。11月3日、岐阜産業会館大会でヨシタツと対戦。11分48秒、ペディグリーに敗れた。11月18日から始まった「WORLD TAG LEAGUE」にファレと組んで参戦。7戦全敗に終わった。 17年1月5日の後楽園ホール大会での試合を最後に出場がなくなる。
タナ じゃあ、発表します。ベストタッグチーム賞は・・・キャプテンエースです。
タナ番 さすがドラノーアワードですね。
タナ 先週号の週プロで既報の通り、岡山で「ワールドタッグリーグ」の公式戦がありまして。2年目にして初めて一勝を挙げました。
タナ番 待望の一勝でした。
タナ あの日は珍しく動画の収録がない大会だったので、その会場にいた方しか見てないけど盛り上がりましたねぇ。
タナ番 はい。勝った瞬間の沸き方でキャプテンってそんなに勝つと思われてないんだって痛感しました。
タナ 試合中にも伝わりますからね。「コイツ、ちょっと頼りないぞ」って(笑)。
タナ番 それ、伝えたくないですね。
タナ 一生懸命やってはいるんですけどね。あの会場の沸き方はすごかった。
タナ番 優勝に値するといっても過言ではない瞬間でした。
タナ 本当そうですね。優勝したかのような盛り上がりでした。
(週刊プロレスNo.1718 棚橋弘至のドラゴンノートより)

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