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エル・イホ・デル・サント
EL HIJO DEL SANTO


1963年8月2日
メキシコ・メキシコシティ出身
168cm 84kg
タイトル歴:UWA世界ライト UWA世界ウェルター WWA世界ライト WWA世界ウェルター
得意技:カバージョ(キャメルクラッチ)

メキシコの伝説的英雄エル・サントの息子。聖者2世の異名を持つ。11人兄弟の末っ子だった。14歳から練習をはじめる。82年10月にデビュー。84年10月28日、ネグロ・カサスを破りUWA世界ライト級王座を史上最年少で獲得。90年4月27日にモンテレイでチャルレス・ルセロを破りUWA世界ウェルター級王座を獲得してUWA史上初の2階級同時制覇。6月、ユニバーサル・プロレスに初来日。6月7日に後楽園ホールでフェルサ・ゲレーラを破りWWA世界ウェルター級王座を獲得。 91年11月14日、ユニバーサルプロレス後楽園ホール大会でカネロ・カサスを相手にUWA王座の防衛戦。マスクを脱がされる場面もあったが、ヘッドシザースを決め続け、19分57秒、カバージョで勝利した。 92年5月のAAA旗揚げに参加。93年11月5日にオクタゴンと組んでAAA世界タッグ王座を獲得した。94年11月の「AAAルチャワールド」で新日本プロレスに登場。95年8月にAAAを離脱。EMLL系のフリーとなる。96年10月、みちのくプロレスに来日し、スペル・デルフィンと組んで「みちのくふたり旅」に出場。11月10日、楢葉町民体育館大会での優勝決定戦でディック東郷、MEN’Sテイオー組と対戦。17分43秒、東郷のダイビングセントーンにデルフィンがフォール負けし、準優勝に終わった。 11月にルード(悪役)に転向。97年2月6日、CMLLジャパンの駒沢オリンピック公園体育館大会でネグロ・カサスと対戦。10分44秒、ラ・マヒストラルに敗れた。9月に宿敵ネグロ・カサスに勝利して坊主にする。98年9月にテクニコ(正統派)に復帰。01年1月28日、全日本プロレスの東京ドーム大会に参戦してマスカラスとタッグを組んで試合をした。06年4月16日、後楽園ホールでの「ULTIMO DRAGON WORLD WIDE UD:06」に来日。ウルティモ・ドラゴンと組んでアトランティス、ブラック・ウォリアー組と対戦し、勝利した。マスク剥ぎ戦では無敵で、エル・ピエロー、エル・ブイトレ、エル・ガラクティコ、エル・ポロ、エル・ディルビオ、コスモナウタ、アリストテレス1号、エル・ニンハ、スケレトール、エスパント・ジュニア、カト・クン・リー、シルバー・キング、プリンシペ・イスラ、レオン・チノ、エル・ブルホ、クチージョ、スターマン、ラ・モミア、マスデック、ロッキー・スター、アル・スター、ジムカッタ、エル・イホ・デ・ブラック・シャドー、ゲレーロ・デル・フトゥーロ、ドクトル・セレブロ、スペル・パルカ、イホ・デル・コバルデらのマスクを剥いでいる。07年11月15日、フィリピン・マニラでのボクシング興行でルチャの試合を披露。WBCのホセ・スレイマン会長からプロレスラーとしては初のWBC名誉世界チャンピオンに認定された。その後、NELLという独立プロモーションを設立。12月8日、エル・トレオで旗揚げ戦「トド・エキス・エル・トド」を開催。メジャーのビッグネームを集めて8チームでの負け残りタッグトーナメントを開催。最後に負けたマスクマンがマスクを脱ぐ形式で行われた。「決勝」進出となったムニェコが負傷退場したため、「決勝」はサント、ブルー・デモン・ジュニア、ペンタゴン・ブラックの3WAY戦となった。最後はペンタゴン・ブラックをカバージョで勝利して、マスク剥ぎに成功した。

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