レスラーノート

フナキ

FUNAKI

本名:船木勝一
1968年8月24日
東京都葛飾区出身
170cm 81kg

タイトル歴
WWEクルーザー
WWFハードコア
TWAヘビー
UWA世界ミドル
得意技
ショーンキャプチャー(飛びつき前方回転エビ固めの要領で膝十字固めを決める)
スピニングDDT

大学卒業後、浜口ジムのインストラクターに就職。その後、新日本プロレスの入門テストに合格。入門して3日目、スパーリング中に左脚内側靭帯と右脚をケガしてしまい、在籍5日間で新日本プロレスから離脱。浜口ジムでコーチを務めた。

1993

93年に藤原組に入門。12月、カール・グレコ戦でデビュー。12分52秒、足掛け式チキンウイング・フェイスロックに敗れた。

1994

94年、石川雄規と組んで新日本プロレスのSGジュニアタッグリーグ戦に参戦。10月11日、栃木県立県南体育館大会でワイルド・ペガサス大谷組と対戦。12分30秒、パワーボムとミサイルキックの合体技をくらってペガサスに船木がフォール負け。試合後に痙攣して倒れ、この大会後、全戦欠場した。

1995

95年11月19日、藤原組の横浜文化体育館大会のメインでザ・グレート・サスケの英連邦ジュニア王座に挑戦。18分10秒、サンダーファイヤー・パワーボムに敗れた。12月13日、両国国技館でのスーパーJカップ2に参戦。1回戦でウルティモ・ドラゴンと対戦。高角度前方回転エビ固めからヒザ十字固めに移行して観客を沸かせたが、6分52秒、雪崩式フランケンシュタイナー、DDT、ムーンサルトプレスからのラ・マヒストラルにフォール負け。その後、バトラーツ旗揚げに参加。TAKAみちのくと「夢狩人」を結成し、タッグで活躍。

1996

96年10月2日、安中市中央体育館大会でアレクサンダー大塚と対戦。11分10秒、ショーンキャプチャーで勝利。10月4日、南熱海マリンホール大会で田中稔と対戦。7分30秒、飛びつき腕ひしぎ逆十字固めに敗れた。10月30日、バトラーツ初となる後楽園ホール大会でビクター・クルーガーと対戦。5分7秒、サンダーファイアーパワーボムにKO負け。11月23日、UWFインターの仙台ワッセ大会で初代タイガーマスクと対戦。11分43秒、タイガースープレックスに敗れた。

1997

97年2月22日、阿見町民体育館大会で石川雄規と対戦。10分55秒、ワキ固めに敗れた。3月1日、大阪府立臨海スポーツセンター大会でグラン浜田と対戦。8分7秒、コーナーからダイブしての飛びつきDDTに敗れた。3月14日、福岡・西新パレス大会で臼田勝美と対戦。10分15秒、左ハイキックをくらってTKO負け。3月19日、米沢市営体育館大会で、エル・パンテーラのUWA世界ミドル級王座に挑戦。14分6秒、ショーンキャプチャーで勝利してUWA世界ミドル級王座を獲得。同年、みちのくプロレスに移籍。TAKAと共に海援隊★DXの一員として活躍。12月18日、後楽園ホール大会でTAKAみちのくのインディ・ジュニア王座に挑戦。19分53秒、逆さ押さえ込みにフォール負け。

1998

98年1月14日、ニューワールド仙台テニスクラブ大会でメンズ・テイオーのスーパーウエルター級王座に挑戦。23分10秒、トルネードクラッチに敗れた。1月16日の札幌中島体育センター別館大会を最後に海援隊のメンズ・テイオー、ディック東郷と共にみちのくプロレスを離脱。3月にWWFに進出。以後、競争の激しいWWFで10年以上もの長きにわたり出場し続けた。

2000

00年4月2日、レッスルマニアでのバトルロイヤルで勝利してハードコア王座を獲得。6月にTWAヘビー級王座を獲得。

2002

02年ごろから若手を相手にする前座選手として活躍。3月1日、横浜アリーナでのWWFの「スマックダウン・ツアー・ジャパン」 に来日し、ハリケーンと対戦。9分、ジャパニーズ・レッグロール・クラッチを切りかえしてフォール勝ち。11月8日、大田区体育館でのみちのくプロレスの10周年記念大会に出場し、日高郁人と対戦。6分59秒、クリップラー・フェイスロックで勝利。

2003

03年、「スマックダウンNo.1アナウンサー」として活躍。7月17日、横浜アリーナでのRAWの日本公演に来日し、A・トレインと対戦。4分50秒、スクールボーイで勝利。18日の大会ではマット・ハーディーと対戦し、5分39秒、ツイスト・オブ・フェイトに敗れた。

2004

04年7月16日、日本武道館でのWWEの日本公演でスパイク・ダッドリーと対戦。6分35秒、バックスライドで勝利。17日の同会場での大会では王者のミステリオチャボ・ゲレロ、ジェイミー・ノーブルと共に4WAYマッチでのクルーザー級の王座戦。5分4秒にミステリオの高速回転エビ固めでノーブルにフォール勝ちし、7分4秒にフナキが高角度前方回転エビ固めでチャボにフォール勝ちし、最後は13分38秒、ミステリオのヨーロピアンクラッチにフナキがフォール負け。12月12日、スパイク・ダッドリーを破りWWEクルーザー級王座を獲得。

2005

05年2月5日、さいたまスーパーアリーナでのWWEの日本公演では王者として来日し、チャボ・ゲレロを相手に防衛戦。7分55秒、飛びつき式スイングDDTで勝利。2月20日、チャボ・ゲレロに敗れて王座転落。7月2日、さいたまスーパーアリーナでのWWEの日本公演に来日し、クルーザー級王者ポール・ロンドン、チャボ・ゲレロと3WAYでの王座戦。7分18秒、シャイニング延髄斬りでチャボにフォール勝ちしたが、11分16秒、ロンドンのオクラホマロールにフォール負け。7月15日、K−DOJOの横浜文化体育館大会に出場し、TAKA、ディック東郷、テイオーとKAIENTAIを復活させて真霜拳號、KAZMA、筑前りょう太、十島くにお組と対戦。17分3秒、KAZMAのAXボンバーにTAKAが敗れた。

2006

06年2月4日、横浜アリーナでのWWEの日本公演でキッド・キャッシュと対戦。13分33秒、トルネードDDTで勝利。12月31日、後楽園ホールでの「インディー・サミット」に出場し、海援隊☆DXを一夜限りの再結成。東郷、テイオー、TAKA、獅龍と組んで大石真翔、KUDO、岸勝也、野橋、ミラニートコレクションa.t.組と対戦し、17分18秒、東郷のダイビングセントーンで大石に勝利した。

2008

08年10月、カン・フー・ナキの名で空手家として出場。

2009

09年4月に椎間板損傷の手術を受けて長期欠場。8月20日、WWEの2軍団体FCWで復帰。

2010

10年4月にWWEを離脱。5月5日、ZERO1の後楽園ホール大会で日本凱旋試合。日高郁人と組んでサンディ・ビーチ、チャド・アロハ組と対戦。18分32秒、日高がショーンキャプチャーでビーチに勝利。6月10日、ZERO1の新宿FACE大会で日高と組んで大谷、曙組のNWAインターコンチネンタルタッグ王座に挑戦。11分15秒、曙の丸め込みを切り返してのエビ固めに日高がフォール負け。6月11日、後楽園ホールでのサスケの20周年記念大会に出場し、TAKAみちのくと組んでサスケ、ディック東郷組と対戦。21分47秒、東郷のダイビングセントーンからサスケのサンダーファイヤーパワーボムにTAKAがフォール負け。7月11日、ZERO1の後楽園ホール大会でインターナショナルジュニア王者の日高、澤を相手に3WAYでの王座戦。6分25秒、日高の高津川にFUNAKIがフォール負け。12月11日から始まったZERO1のタッグリーグ戦「風林火山」に吉江豊と組んで参戦。3勝1敗でリーグ戦を終えた。

2011

11年6月9日、SMASHの後楽園ホール大会でのSMASH初代王座決定トーナメント1回戦でTAJIRIと対戦。7分53秒、横入り式ジャックナイフ固めにフォール負け。12月1日、横浜アリーナでのWWE・RAWの日本公演で、べス・フェニックス対ケリー・ケリー戦のレフリーとして登場した。11年ごろからテキサス州サンアントニオにレスリングスクールを開校して後進の指導を続ける。

2012

12年1月3日、K−DOJOのREINAアリーナ大会でオーウェン・フェニックスと対戦。9分1秒、スクールボーイでフォール勝ち。10月14日、後楽園ホールでのK−DOJOのTAKAみちのくデビュー20周年記念大会のメインでTAKAみちのく、CIMAと組んで鈴木みのる、タイチ、論外組と対戦。19分48秒、みのるのゴッチ式パイルドライバーにFUNAKIが敗れた。

2013

13年1月6日、K−DOJOの横浜・赤レンガ倉庫大会でTAKAみちのくと組んで真霜、関根組のSTRONGEST−Kタッグ王座に挑戦。16分4秒、関根のドラゴンスープレックスにFUNAKIが敗れた。7月15日、K−DOJOの千葉ポートアリーナ サブアリーナ大会でTAKAみちのくのUWA世界ミドル王座とインディペンデントワールド世界ジュニア王座に挑戦。15分19秒、ジャストフェイスロックに敗れた。

2014

14年12月6日、ノアの有明コロシアム大会でスコッティ・2・ホッティスペル・クレイジーと組んでペサディーヤザック・セイバー・ジュニア小川良成組と対戦。10分55秒、スコッティがWORMでペサディーヤに勝利。

2015

15年10月1日、ドラディションの後楽園ホール大会でLEONAと対戦。12分35秒、ラ・マヒストラルでフォール勝ち。