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レックス・ルガー
LEX LUGER


本名:ローレンス・ ウェンデル・フォール
1958年6月2日
ニューヨーク州バッファロー出身
193cm 125kg
タイトル歴:WCW世界ヘビー WCW世界タッグ WCW・TV USヘビー
得意技:トーチャー・ラック

通称「トータルパッケージ」。高校時代はフットボールで活躍。 フットボール奨学金を得てペンシルバニア州立大学に進学。2年後にマイアミ大学に進学。79年、CFLのモントリオール・アローテツに入団。82年、83年、NFLのグリーンベイ・パッカーズに在籍。その後、USFLのタンパベイ・バンディッツ、メンフィス・ショーボーツに在籍。プロリーグを転戦するが、活躍できなかった。USFL解散後、フロリダでヒロ・マツダのマンツーマンのコーチを3ヶ月間受けて、85年9月にデビュー。 87年からクロケットプロ(後のWCW)に進出。 91年7月14日、王座決定戦でバリー・ウインダムと対戦し、12分34秒、パイルドライバーで勝利。WCW世界ヘビー級王座を獲得。 92年1月4日、新日本プロレスの東京ドーム大会で蝶野正洋を相手に防衛戦。15分9秒、ダブルパンチを決めてフォール勝ち。2月29日、PPV「スーパー・ブロール2」でスティングを相手に防衛戦。場外戦でマネージャーのハーリー・レイスがスティングにパイルドライバーを決めようとしたが、リバースされてダウン。12分57秒、コーナー最上段からのダイビング・ボディアタックに敗れて王座転落。この試合を最後にWCWを離脱。同年秋にWWFに進出。 93年8月30日、PPV「サマースラム」でヨコヅナのWWF王座に挑戦。17分58秒、リングアウト勝ち。規定により王座奪取に失敗した。 94年1月22日、「ロイヤルランブル」でロイヤルランブル戦に出場。55分8秒、ブレット・ハートと同時に場外に転落して2人とも優勝した。3月20日、レッスルマニア10でヨコヅナのWWF王座に挑戦。14分40秒、特別レフリーのカート・ヘニングを暴行して反則負け。 95年9月にWCWに登場。 96年4月29日、新日本プロレスの東京ドーム大会で蝶野正洋と対戦。14分34秒、STFに敗れた。9月20日、新日本プロレスの大阪府立体育館大会での日米対抗スーパースターズ・トーナメント1回戦で佐々木健介と対戦。9分37秒、ストラングルホールドγに敗れた。 97年8月4日、ハルク・ホーガンを破りWCW世界ヘビー級王座を獲得。8月9日、ホーガンに敗れて王座転落。WCW崩壊後はインディ団体を転戦。 06年9月に引退。

レックス・ルガーは”トータル・パッケージ”と呼ばれていた。大柄な上に、ハンサムで業界最高の肉体を誇っていたからだ。(中略)ルガーは頭も切れ、健康的な食生活に努め、練習熱心な男だった。(中略)プロのフットボール・リーグでの経験を積んでいたため、ルガーにはエージェント(代理人)がいて、契約というものに関してどの選手よりも深く理解していた。ジム・クロケットのもとで働き始めた頃、ルガーは何から何までを弁護士にチェックさせていた。私たちレスラーは、それまで考えもしなかったことだった。その甲斐あって巨額の契約を結んだルガーは、一部のレスラーから羨望の眼差しで見られるようになった。豊かな教養に裏打ちされた物事の見方はとても新鮮で、さらには私たちの意欲をかき立てるものでもあったのだ。ルガーは”ロッカールーム弁護士”とも呼ばれていた。ひと晩で20万ドルの入場収入があれば、レスラーの取り分を計算する。さらには業界に欠けているシステムを指摘して「なぜ、医療保険がないんだ?」などと問いただす。こうやって、そこらにいるレスラーたちにまったく新しい認識を抱かせたのだ。(リック・フレアー自伝「トゥー・ビー・ザ・マン」より)

90年代の初め、俺はよくルガーをクルマに乗せて試合会場を回ったが、ヤツとレスリングについて理論的な話をすることもあった。たとえば様々な技をどう組み立てればリング上の闘いがうまく運ぶかなどといったことだ。対戦相手の技のレベルを問わず、ルガーがいつもいい試合をしてほしいと願い、ヤツにその秘訣を授けた。こんな場合はどうしろとか、この技と技の組み合わせが最高だとか、クルマでの移動中に教えてやった。そして、そのあとにルガーにテストをする。ヤツはバカじゃないから俺の教えたほとんどすべてのことを頭に入れ、試合で実践できた。ヤツのことを頑固者で他人の忠告など聞かないという者もいるが、俺に言わせれば、心底俺から学びたがっていたし、実際にそうしていた。(ハーリー・レイス自伝「キング・オブ・ザ・リング」より)

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