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小橋建太引退

東京スポーツ2012年12月4日より
ノア激震!小橋解雇、秋山ら退団
小橋、解雇へ――。プロレスリング・ノアの鉄人・小橋建太(45)に戦力外通告が出されていたことが3日、本紙の取材で明らかになった。
ケガで長期欠場中の小橋は現役続行を希望していることから、来年からはフリーとして復帰を目指す。小橋は腎臓がん、さらにはひざやひじなどの負傷による欠場を繰り返しており、ここ数年は年間を通じてのシリーズ参戦が不可能という状況が続いていた。小橋はこの日、本紙の取材に対し「今は何も話せない・・・」とだけコメントした。
さらに秋山準(43)、潮崎豪(30)ら主力5選手が11月30日までに、来年1月からの所属契約を結ばない意思を、団体側に伝えていたことが判明。総勢6人のトップ選手が年内をもって団体を去ることが決定的となり、来年旗揚げ14年目を迎えるノアは、最大の危機を迎えることになる。


2012年12月9日ノアの両国国技館大会での小橋引退宣言(ノアのホームページより)
【リング上】
「まず最初に言っておきたいことがあります。一部報道されたノアからの戦力外通知、解雇などということは一切ありません。ですが、実は4年前から首の影響で左足に力が入らなくなってきていました。医師から緊急手術をするか引退するかどちらかを決めてほしいと言われました。今年7月に思いきって首を手術しました。この間、復帰を目指して頑張ってきました。しかし、依然として状態は悪く、ここに来て私自身、完全復活は無理だと判断し・・・。引退することを決意しました。でもプロレスは僕の命です。もう一度、もう一度だけリングに上がって完全燃焼して自分のプロレス人生に区切りをつけたいと思います。これからの人生はプロレスで学んだ不屈の精神、一生懸命頑張っていきたいと思います。本当に皆さん、なにもなかった自分がここまで来れたのは、皆さんの本当に応援があったから。だからがんばれたと思います。皆さんに対して出る言葉は本当に感謝の気持ちしかありません。でも、もう一度、もう一度だけ自分のコンディションを作ってリングに上がります。もう一度だけお願いします。皆さんありがとうございました。自分がこうして引退宣言をする日が来るなんて思わなかったです。小橋建太に世代交代はないと言ってきましたが、自分でこういう日が来るなんて思いませんでした。しかし、時代は動いています。人間必ずこういう時が来ます。しかし人生が終わったわけではありません。これからもう一度がんばってこの充実したプロレス人生に負けない人生を送りたいと思っています。皆さん本当にどうもありがとうございました」

【バックステージ】
―最後に赤コーナーに立って頭を下げていましたが、今の気持ちは?
小橋「自分が小橋建太のプロレスが出来ないと判断して、自分で決めたことなので。誰に言われたことでもなく、自分自身で決めたことなので。自分で決めたということをはっきりしたかったというのはあります」
―夏の手術を経て状態が思わしくなかったということですが?
小橋「首だけじゃなくて、膝、腰というのも。首の影響からも膝はなかなか完治しづらいところもあったので。それ以外、首だけじゃなくて膝はもともと悪いですしね。両国大会があって7月の力(力皇猛)の引退セレモニーがあってそこだけはどうしても出たかったので。本当はそれ以前に医師からは手術をすすめられていたのですけど、そこだけは出たかったので。7月の終わりに手術をしました。退院してから、骨盤から首に移植をしたのですけど、その骨盤が真っ二つに割れましてそれがアクシデントになりまして、またリハビリが遅れてきたというのもありました」
―リング上での挨拶中もファンの皆さんから声があったと思います。いかがですか?
小橋「だから言葉が出てこなかった。なにか言ったら・・・みんな聞きたくないのかなって、聞きたくなくてもそこは言って、でももう一回だけ上がりたい、それまでにコンディションをもう一回作って、そういう体を作って、しっかり、1試合だけやりたいですね」
「最後の試合っていうのもまだ決まっていないですし、まだあの、手術して半年くらいしか経っていなくて、骨がつく段階ですし、まだコンタクトの練習、人とぶつかる練習はしていないですけど、ウェイトトレーニングはしていますけど、後は骨がついてどれだけ動けるか。腕の神経、足の神経にも来ていたんですけど、先生が言うにはやっぱり『スポーツ選手では最悪な状態。小橋君の場合はスポーツ選手じゃなくて普通のサラリーマンの人が来ても即手術』と言われたんですけど。自分としてもはいそうですか、とはならないので。力が入らなくなってきたというのは分かっていたんですけど、そこは、首だけは手術したくないというのがあったので」
―7月に手術して最終的に決断をしたのはいつですか?
小橋「いつというのは分からない。悩みに悩んだというか。もうやっぱりプロレスを引退というのは自分の頭の中にはなかったので。さっきも言いましたけど小橋建太には世代交代はないと言ってきましたけど、やはり時代は動いているんだなと。まあでもやっぱりできないんだなあと」
―自分で表明するとなったのは?
小橋「本当は年末までと思っていましたけど、自分自身の口からファンのみんなに一番最初に言いたかった」
―最後の試合はどういった試合にしたい、という希望は?
小橋「いや、まだ白紙です」
―今の体重は?
小橋「今、107、8はあるんじゃないですか。一時より練習ができるようになったんですね。左腕とか左足が全く力が入らなかった。首が悪いというのは分かっていたのですけど。力が入らなくて、練習とかも左の力が入らないということは右ができないじゃないですか。だから体がしぼんできていたのも自分で分かってきたのですけど、なんとか人の何倍も時間をかけてやっていればなんとか。そうしてやるしかないな、と。やっぱり限界というのはありましたけど」
― 一番調子の良い時の体重はどれくらい?
小橋「チャンピオンの時は115から120の間です」
―葛藤は?
小橋「苦しいです。まだやっと力が入るようになってきて練習もだいぶできるようになってきた。ウェイトトレーニングとかもできるようになってきた。力が入るようになってきた。でもやめなくちゃいけない。そこの葛藤というのはすごくありますね。体を作ることができるようになってきた。だけどやめなくちゃいけない。首をカバーする膝、腰、肘がないということ」
「手術をしてもまた試合をしようとしているということは考えられないと医師からは言われましたけど、先生、僕はプロレスラーなんです。これで生きてきたんです。バカだと言われるかもしれないけど、それだけ好きなんです。いつもプロレスのことを考えてきました。急にやめろといわれても決断できないです」
―誰かに相談は?
小橋「自分で決めました。小橋建太のプロレスができないということで自分で決めました」


週刊プロレス No.1663より
「2月に、ヒザを痛めて歩けなくなって翌日に入院した。そのときにいろんな箇所を見てもらって、首が悪いのはわかってたんだけど、前に比べてさらに悪くなっていた。ヒザで欠場しているのに、首(の手術を)やっちゃうと(復帰が)延びるでしょう。そこで「手術はできない」と言うと、先生は「やらないとダメだ」。とりあえず、神経を殺す薬を投与して安静にしていれば少しはよくなるという。実際によくなって退院後にウェートとかをやっていた。俺は復帰する気満々で、5月に先生に「復帰します」と。そこで首のMRIを撮ったところ、「復帰するとかそういうことを言ってるレベルではない。死んでしまう」と。」
「これは書いていいのか悪いのかわからないけど、三沢さんの首を診ていた先生で「正直、三沢さん(の状態)より悪い」と言う。手術をして神経の圧迫が4〜5年前からある。足まできているというのは本当にヤバいと。圧迫されて死んでしまった神経はもう生き返らないけど、死にかけている神経はその圧迫を取ったら生き返るらしい。ただ、それが何本死んでるかは映像で見てもわからないらしい。2月のときには「手術しないとダメだ」と言われたんですけど、先生も鬼になって「手術か引退か、どっちかを選んでくれ」と。懇々と言われた。「プロレスラーとして生きることも大切かもしれないけど、人間として生きるチャンスがあるのに・・・。自分からそのチャンスを放棄することはない。そのままやってれば、下半身が動かなくなる可能性もあるわけでしょ。そうならないように生きようよ」と」


大会前のインタビュー(13年5月3日 東スポwebより)
―引退試合まで残り1週間余り。
小橋:少しずついい感じになっています。試合はもちろん、首を手術(昨年7月、骨盤の骨を首に移植)してから初めての実戦なので、その部分を強化する練習に重点を置いている。それとスタミナをつけるための有酸素運動。自転車を1時間半こいだり・・・。
―しかし相変わらず朝は早い。
小橋:練習は午前9時開始から遅れることはないですね。大体2時間から3時間かな。実は先週、左ヒザの調子がおかしくなって病院に行ったんです。
―え、またケガですか。しかも左ヒザ・・・(最後の試合となった昨年2月19日のALL TOGETHER仙台大会で左脛骨骨折。長期欠場へ)。
小橋:結局、水がたまっていたので抜いてもらった。オーバーワークだったみたい。今はいい方向に向かってますよ。
―どんな試合に。
小橋:やり残したことがないよう、後悔のないような試合をしたい。完全燃焼。とにかくこのひと言に尽きる。
―佐々木健介選手も出場するし、伝説の「チョップ213発」超えを期待する声もある。
小橋:8人タッグマッチだし、それは難しいかなあ(笑い)。でも「やり残したことがないように」という点では、それも含まれるかもしれないね。
―思い出深い3人とチームを組む。
小橋:準は入門してきた時からずーっと一緒だった。試合でもプライベートでもいつも一緒だった。今、バーニングの看板を背負ってくれている。前に引退うんぬんと言っていたことを聞いたけど、まだまだでしょう。あと何年やれるか分からないけど、後悔のないように自分のプロレスを貫いてほしい。
―武藤とは最後の試合(2・19仙台)でコンビを組んで以来となる。
小橋:「引退する」と発表した時、すぐ名乗りを上げてくれた。感謝してます。深い縁と絆を感じますよ。
―そして健介だ。
小橋:退院して引退を決めた時、真っ先に連絡を入れたんですよ。まだ何も決まっていないのに。そうしたら「何でも協力するから」と言ってくれた。あの時、あの言葉がどれだけありがたかったか・・・。
―しかしこれが最後の試合になるなんて信じられない。
小橋:俺自身がそうですよ。今でも信じられない。「俺、本当にプロレスをやめるのかな」って時々思う。自分が引退する日が来るなんて、夢にも思わなかった。
―・・・・・・。
小橋:だけど決めたのは自分自身ですから。簡単に決めたことじゃない。強い覚悟を持って決めたこと。だからこそ、しっかりとその日を迎えたい。
―プロレスラーとしては幕を引くが、第2の人生も待っている。
小橋:プロレスと同じくらい自分の全身全霊を傾けられることを探さないとね。それは5月11日以降に探しますよ。
―ファンにメッセージを。
小橋:小橋建太というプロレスラーがいたことを、少しでも皆さんの胸に刻み込んでもらえれば幸せです。俺はファンの皆さんから勇気をもらった。大声援を受けるたび、生きる幸せと喜びを感じていた。ただ感謝のみ。後悔はありません。5月11日、日本武道館。プロレスラー・小橋建太は完全燃焼します。


執刀医が語る鉄人「小橋さんは特別な存在」(13年5月8日 東スポwebより)

小橋建太(46)にとって、レスラー人生最大の危機は2006年6月に発覚した腎臓がんだった。執刀医の横浜市立大病院の中井川昇医師(48)が、がんさえも克服した鉄人の引退に際してメッセージを送った。

小橋の腎臓がんが発覚したのは06年6月。小橋は当時、命の危機に面していたにもかかわらず、脳梗塞を克服した山善廣の復帰戦(同年7月)出場を直訴していた。

中井川医師:病気を治すのは最後で、目の前の仕事、約束を全部果たさないと、という感じ。だから最初の外来で2〜3時間は話をしました。「がんを治すことを第一に考えないと、最善の治療は受けられませんよ」と言い続けました。

幸いにも手術後の経過は良好で、復帰を目指してトレーニングが再開された。腎臓を一つ摘出した小橋が再びプロレスラーの肉体をつくるのは、タンパク質の摂取制限など困難も多かった。それでも07年12月、小橋は奇跡の生還を果たした。

中井川医師:すごかったよね。神様みたいだった。手術の前に「生きていれば、いつかプロレスができる」という話をしていて、復帰戦が終わった後は「小橋さんにとって生きているってことはプロレスをしてることなんですね」と言いました。

小橋の復活は、他のがん患者にとっても大きな励みになった。

中井川医師:外来の患者さんで「私も頑張らなきゃ」と言う方もいます。「小橋さんのサインをもらえたら治りそうな気がする」と言う小児科の患者さんには、小橋さんが会ってくれた。腎がんに関わっている人、全てにとって特別な存在なんです。

腎臓がんの再発率は2〜3%と言われ、今でも小橋は年に2回以上の検査を受けているが、数値は全て良好だという。それは腎機能低下による引退を避けるべく尽力してきた中井川医師にとっては、せめてもの救いだった。

中井川医師:他のケガは知らないので、余計なことは言えないんですが…。がんを克服して、がんになる前の仕事に戻った。それだけで僕は十分だと思う。同じ病気になった人の支えになってくれて、ありがとうございました。「プロレスラー・小橋建太は、がんに勝った」でいいんじゃないですかね。人生はこれからの方が長いので、また一緒にやっていきましょう。


「FINAL BURNING in Budokan 小橋建太引退記念試合」(ノアのホームページより)

【引退セレモニー】
「本日はご来場の皆様、ライブビューイングをご覧の皆様、テレビをご覧の皆様、小橋建太引退記念試合にご参加くださいまして誠にありがとうございます。最後にもう一試合あります。全力で頑張りますので最後まで応援よろしくお願いします」

【小橋選手リング上挨拶】
―最後はムーンサルト。自分でピリオド打ちましたね。
「そうですね」
―引退記念試合、どんな気持ちでリングに上がりましたか?
「いつもと変わらなかったです。いつもと変わらず普通にやることができました。朝早く起きて道場に行って練習して武道館に来ました」
―いつもと変わらぬプロレスを続けるにあたり、辛いこともありました。悲しいこともありました。でもなぜ25年間も頑張ることができたのですか?
「それは分からないです。それはプロレスが好きだから、プロレスが好きでこうして応援して下さる皆さんがいる、それが続ける力になりました」
―腰には絶対王者時代のベルトを巻いています。
「今日で最後ということであえて、現チャンピオンがいるんんですけど、そこでベルトを巻いて行って良いものなのかと悩みましたけど、最後なので、自分の思いを通しました」
―このベルトは今から10年前、3・1ここ日本武道館であの三沢さんから獲ったベルトです。ちょうど花道のこのあたりでしたでしょうか。花道から三沢さんの場外へのタイガースープレックスを受けました。三沢さんにはどんな言葉で引退を報告しますか? 「三沢さん、そして馬場さんには心の中で“引退します”と天国に届くように言いました。(場内から三沢コール)」
―今、色んな思いがよみがえってきましたね?
「今の三沢コールは引退試合ができなかった三沢さんへのみんなの思いだと思うので、僕も嬉しいです。」
―今日この武道館、お集まりのお客さんの数は17,000人超満員でした。ここで17,000人の中からお二方上がってきて頂けるようです。小橋さんを陰で支え続けましたお母様と奥様です。今日この試合も会場で声援を続けていらっしゃいました。(花束と記念品の贈呈)
―小橋さんにとってファンの皆さんの存在はどんなものでしたか?
「僕の力でした。皆さんの応援があるから頑張れました。何もない自分がここまでこれたのはみんなの応援のおかげです。ありがとうございました」
―小橋さんにとってプロレスとは何だったのでしょうか?
「今、幕を閉じようとしているプロレス人生、自分の青春でした。しかし、また46、47、48と青春は続きます。一つの青春は終わりました。でもまた次からの青春を頑張ります」
―最後にお集まりの皆さん、テレビの前のみなさん、全国でスクリーンをご覧の皆さんにお願いします。
「とうとうこの日が来ました。26年前入門をして色んな事がありました。しかし自分で自分自身で決断をして歩んできたプロレス人生に悔いはありません。苦しいこともたくさんありました。しかしそれを乗り越えた時何倍もの嬉しい事、幸せな事、たくさんありました。その幸せなプロレス人生を共に歩んでくれたファンの皆さん、本当にありがとうございました。感謝の気持ちでいっぱいです。今日、私は引退しますが、プロレスで学んだ不屈の精神でこれからも頑張っていきたいと思います。そしてこれまで小橋建太に関わってきて頂いた全ての皆さんに感謝いたします。もう一度言わせてください。ファンの皆さん、私は最高なプロレス人生を送ることができました。本当にありがとうございました」

【小橋選手バックステージ】
<小橋>
「自分のコンディションとの戦いでどれだけできるかっていうところでしたけど、全力を尽くしてやると。これまでの小橋建太を全力を尽くしてやればと思ってやりました」
―最後はムーンサルトで決めました。あの技で怪我をしましたが?
<小橋>
「武藤さんがやってアピールしてたんで、all togetherの時みたいな感じでした」
―秋山さん、同じリングに立ってどんな試合でしたか?
<秋山>
「一番の状態の小橋さんを出させたかったんで、とにかくサポートに。サポート出来るように。やばいときは入らなきゃいけないなと思ってました」
―あえてカットに行かずに任せるという時間帯がありましたが?
<秋山>
「前に立ってるのが小橋さんの付き人でね、教えてきた選手たちなんで、特に小橋さんもその技を全身で受けていたいんじゃないかというのがわかったんで、なるべくはいらないようにしました。だからそれぞれが刻み込まれたと思います」
―今日の小橋さんはどんな選手でありどんなレスラーだったと感じましたか?
<秋山>
「こうやってたくさんファンの方が来て下さって、いままで小橋さんがファンの方のためとかそういうものが全部最後見れたんじゃないかと思います」
―健介さん、今回はどういう思いで臨んだ試合ですか?
<健介>
「引退試合ということですけど、僕の中でははじめてやった東京ドームのときのままです。僕の中では小橋建太という選手は永遠のプロレスラー」
―健介選手と潮崎選手が逆水平をやっている、その時間帯コーナーでどんな思いで見てたんですか?
<小橋>
「どんな気持ちで?「もっといけ」(笑)」
―それはパートナーの建介さんにですか?それとも潮崎選手に?
<小橋>
「誰にでも。そうやってアピールしてくれたほうが絶対に面白い試合になる。負けないようにアピールして。それがもう最高です。もっと行ってほしかった」
―潮崎選手との逆水平胸に刻まれてますね?
<健介>
「さすが小橋選手が教えただけあってチョップが効くようになってる」
―小橋選手とはもうやりあうことは出来ませんが?
<健介>
「同じコーナーにいるときにタッチのときはチョップでタッチしようかなと思ったんですけど、でも、僕と小橋選手はあれだけチョップを打ち合ってきたんで、それを最高の思い出を胸にしまっておきます」
―改めて小橋さん、全てが終わってこれからまた新たな青春が始まると思うんですが、まず今何をしたいですか?
<小橋>
「うーん、別にないですね」
―今日はいつもと同じように過ごしたとおっしゃっていました。
<小橋>
「今日の朝も起きて道場に行きました。最後の練習で道場にありがとうと」
―道場に通う毎日。その生活ともお別れになるわけです。
<小橋>
「そうですね」
―ファンの皆さんはおそらく小橋さんにはこれからいろいろな形でプロレスに関わってもらいたいと思っているはずです。
<小橋>
「そうですね。そういう思いでみんながいてくれたらそれは嬉しいですね」
―今後新たなプランは?
<小橋>
「今とにかく目の前のことにチャレンジをすることで、これまではプロレスが青春でしたけどそれに代わる何かを見つけていきたいと思います。自分がやりたいということを」
―これで小橋さんは引退なされますが、これからプロレスを引っ張って行ってくれる人たちが会場で素晴らしいプロレスを見せてくれました。
<小橋>
「そうですね。パートナーも素晴らしい試合をしてくれましたし。楽しい時間でしたね」
―改めてファンの皆さんに最後のメッセージを。
<小橋>
「本当にここまでやってこれたのはファンの皆さんの後押しがあったから、応援があったからここまでこれたと本当に感謝しています。これからの人生もがんばっていきますんで小橋建太というプロレスラーがいたことを心の片隅にでも残していてくれれば、それが一番嬉しいですね。今日、引退しましたけれどこれから先も心の隅に残ってくれれば嬉しいですね」


小橋“鉄人2世”育成へ(13年5月15日 東スポwebより)
“鉄人2世”育成へ。奇跡のムーンサルトで引退興行(11日、日本武道館)を締めくくった小橋建太(46)が、本紙に独占手記を寄せ、ラストマッチを終えた胸中をつづった。小橋は不可能と思われた月面水爆を放った理由を明かし、今後は公私共に“2世育成”を目指すという。

【小橋建太独占手記】
引退試合を無事に終えることができてホッとしている。幸いケガはなかった。あらためて引退試合に関わってくれたすべての方々に感謝します。なぜあの場面、危険を承知でムーンサルトを出したのか。それは後悔したくなかったから。俺は去年2月19日の「ALL TOGETHER」(仙台)でムーンサルトを出して両ヒザに大ケガを負った。トラウマを背負ったまま、新しい人生に踏み出したくはなかった。失敗してもいい。かわされてもいい。これをやらないでプロレスを辞めるわけにはいかなかった。185発もチョップを打った。道場ではダミー相手に2000発は打っていた。でも生身の人間に打つと、相手から相当のエネルギーが返ってくる。447日ぶりの試合だし、スタミナもどうかなと思っていたが、今は満足している。しばらくゆっくり休んでから…とは考えない。試合後も「Going」(日本テレビ系、午後11時55分)に出てから、家に戻って朝6時まで試合のビデオを見ていた。明日(13日)からもいろいろ仕事が入っている。忙しいほうがいいし、気が張ったままのほうが俺にとってはいい方向に働く。そのために「Fortune KK」(プロモーション会社)を作ったんだし、いろんな人に会って可能性を広げていきたい。セレモニーで馳(浩衆院議員=PWF会長)さんから花束を渡された時「PWF(次期会長)頼んだよ!」と言われた。さすがにリング上では即答できなかったけど、これもじっくり考えていきたい。引退試合は「お祭り」にしたいと公言してきた。皆が団体の垣根を越えて参加してくれた。これを機にいろんな団体を見に行くのもいい。団体の大小にかかわらず、若くていい選手は日本にたくさんいる。そういう選手を引き上げていくのも、これからの自分の役目かもしれない。「いつかは自分のジムを」という考えはいつも頭の片隅にあるし、そこで自分の遺伝子を受け継ぐ選手を育てるのも、ひとつの夢です。プロレスをプロ野球やサッカーに並ぶ競技まで引き上げられるような選手たちをね。子供を作ることもこれから考えないと。俺の血を受け継いだ子なら「プロレスがやりたい」と絶対に言うだろうな。そうなれば「お前はプロレスに命をかけられるか」と問うだろう。中途半端な気持ちなら絶対にやらせない。覚悟を決めてレスラーを目指すなら止めない。ケガを乗り越えてはい上がってきた俺の生きざまを本か何かで子供が読むようになったら、父親をどう思うだろ・・・。今日から新しい青春を探す日々が始まる。小橋建太というプロレスラーに声援を送ってくれた皆さんには、ただただ感謝しかない。そのことは一生の宝にしたい。本当にありがとうございました。そしてこれからも応援よろしくお願いします。

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