ダークロHP
小市民ダークロの
ありがちで気の抜けた
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暇なのでMの話でもしよか?くだらない話なので、ようく腰を落ち着けといて、じっくりとお聞きなさってください。まあ奴とは半年くらい縁がなくて、切れたっちゃあ切れたか、なんや音信不通めいた感じがするわな実際。7年もの長い付き合いやったけど、終わってみれば、まあ特になんも思わないなあ。大学1年になって、クラスの集合写真をとる時に話して、こっちはもう気にしとらんと忘れとったけど、次の日に授業でたまたま隣に座った時に「昨日話したじゃん」と向こうは覚えてて、なんかしらぬ間に、つるんでたっていう感じ。だんだん周りに濃いのが集まってきてて、だんだんクラスの隅のほう後ろのほう、地味な人達の仲間入りした。自殺君は隣で授業中、弁当食ってたりして、まあ、Mはいつも授業前に景気づけでワンカップ飲んでたけど、試験なんかもヒロユキに見せてもらったりして楽勝だった。大学生活というのは、自主性が重んじられる所で、教室でおしゃべりしてても別に怒られもせずに「そんなに重要な話があるんだったら単位だってやるから出て行って廊下で話してくれ」とにこやかに言われて「そうですね先生。僕達が間違っていましたあ!」さようならあっと出て行く感じ。別に俺はやってないけど。朝の講義は眠いので、コーヒーを飲みにロビーでだべったり。別に俺はやってないけど。「1年の3分の2講義にでたら単位がもらえるのだから、君達学生は3分の1欠席できる権利があるのだ」と言う教授もいた。Mは最初のころ蓮田に住んでいた。蓮田と言うのはゼッキー曰く「殺風景な荒野に野犬が何匹か走っている」らしいけど。ゼッキーがMの家に遊びに行った時、コタツに家族全員集まって仲良くテレビ見てたらしい。多分Mは家族愛が基盤となったヒューマンドキュメントタッチな奴なんだと思う。多分今も、コタツでテレビ見てんじゃないか?まあMは基本的におとなしい奴だ。4月にクラスでコンパがあった。そのとき奴は居酒屋の隅のほうでジーと座ってうつむいたまま、「ドイツイデオロギー」を読んでた。現在にいたるまで、俺は飲み会の席で本を読み出す奴に出くわしたことがない。誰も奴に話しかけなかった。同じ埼玉県人のヒロユキと帰る時、Mと話をした。聞けばヒロユキと同じサークルに入っているらしい。「同じサークルの奴らでちまちまとまとまってるより、いろんな奴と交流しようぜ」とコンパの最初にMが言っていたので、離れた別々の席にいたという。だったらしゃべれよ。かなり屈折してるぜ。でも逆に興味が湧いた。その日は3次会があったかどうかしらないけど、おれらは帰った。土手の上の方で山手線ががたがた走って、俺と養老の滝を揺らした。

その後もクラスコンパがあったけど、二度と行かなかった。でも何日か後に、地味な男6人くらいで居酒屋に飲みに行った。当然Mもいた。狭い店内にオヤジしかいなかった。注文しないのに勝手に料理が出た。そこで俺らはぼそぼそとつぶやいてためいきを肴にした。帰り間際におじさん達から「まだ若いんだからがんばれよ」とエールをもらった。去年も同窓会の形でクラスの奴らが何人か集まったらしい。俺は男だけで12人という時点で欠席した。Mは得意げにオレンジ色の髪を見せびらかしたが、「ふーん、わりと普通なことするね」とみんなに言われた。7年ぶりくらいにようやく意思の疎通ができたみたいで俺としてもうれしい。今気づいたけど、Mは真面目な性格だった。教科書に定規を使ってアンダーラインを引いてたくらいだ。東京ウォーカーにも丁寧にアンダーラインを引いて勉強していた。おとなしい性格と家族が基本だから、別に高円寺の部屋を引き払って、蓮田に住んでいても、何ら不思議なことはない。でもなんか不思議だ。ある日、奴の「サークル」の部室まで行ってみた。40年たった地下室の一番奥の暗がりで、なにやらユーゴとドイツの情勢について熱いディスカッションが交わされていた。俺も参加してみた。ヒロユキもいたが彼らと距離をおいていた。Mは中心となって活き活きしていた。なんだか分厚いレジュメを自ら作っていた。反対意見がなくて、決められた一本道をたどっていくように議論が進んだ。最終的にドイツが悪いとなって、部会が終わった。Mは政治ばなしが好きだった。文学は一作品も読んだことがなかった。あのころの奴と話していると「すごいな。こいつ頭がいいな」と、何度も思った。頭がよすぎて一つの色に染まれない気がした。Mは1年くらいでその「サークル」をヒロユキともどもやめちゃうけど、その後そのサークルの「彼ら」に会うたびに「Mは元気?」と聞かれた。本気で心配してるみたいだった。

Mは知らない間に中野に引っ越していた。奴の部屋で気になるのはスライド式の豪華な本棚だ。どちらかと言うと本棚の方が主人みたいだった。その中に政治経済哲学人類学などの難しい本を詰め込んでいた。それらの本を「インテリアだ」と言っていた。実際そうだった。どの本も、最初の序文を読んだ後、丁寧に本棚にしまっていた。CDはなかったけどラジカセはあった。でも「神田川」のテープしか持っていなかった。あいつの部屋へ行くと必ず聞かされた。その後CDコンポを買った。一番最初に買ったCDは「ドラえもん全集」だった。タバコを吸うようになっていて、だんだん部屋の壁が黄色くなっていった。皮ジャンを着始めていい気になっていたが、周りから「オヤジジャンパー」と呼ばれて意気消沈した。メガネも、赤とかピンクとか、おしゃれなやつを好んで身に付けていたが、飲みに行く度にレンズを割って、新しいメガネを買いつづけていた。出張ヘルスを呼んだら、Mの布団があまりに汚いので、女が寝るのを嫌がった。逃げる女の片手をつかんだまま、店に抗議の電話をかけた。向こうも怖い人だったので、ものすごい口論となった。その間、Mはフルチンだった。違う日のこと、Mが帰ってくるとなぜかTがいて、電話しているところだった。Tは、トイレの窓から勝手に入ってきたという。何日かして電話の請求書がきた。ダイヤルQ2料金が2万円請求されていた。Tに払わせたらしいけど。ある日、Mの家で鍋をやることになった。女の子が一人きたけど、俺が「いい服着てるね、バーゲン品?」とからかったら、怒って帰ってしまった。その後、コンロの電源を入れたらヒューズが飛んで真っ暗になった。すぐに大家さんを呼んだ。大家さんに聞くと、めちゃくちゃ少ない電力でこの家は運営されているという。コンロの電源をつけるのだけで限界だった。だから、やみ鍋になった。その後カマタの家でも鍋をやったけど、その時は突然酔っ払ったMが包丁を握り締めて、「サンシャインラ〜ブ」と振り回しながら踊りだして怖かった。カマタはエリックというドイツ人の友達がいる。エリックはこの前牛丼屋で食い逃げしようとして捕まった。いくら国際社会になっても、長身金髪だと目立ちすぎだ。エリックの隣の部屋は夫婦が住んでいる。妻の方が風俗で働いていて、仕事のない夫はそれが気に入らずに口論となる。そういえばカマタはメキシコから帰ってきたのだろうか。Mは酒乱だったけど、俺の知る限り、賭け事はやらなかった。ハマるのを恐れて、麻雀のルールを覚えようとしなかった。ギリギリの所でバランスをとっているみたいだった。

当時のMの電話番号が3363-0335で、「散々無残おっさん最高」と、覚えやすかった。2年生になって俺とMは哲学研究会にいた。この頃、俺とかMはいろんなサークルに顔を出したり二度とくんなと言われたりしていた。哲学研究会で俺とMは割とうちとけていた。部員が俺達以外に三人しかいないせいだったと思う。だんだん部員も増えてきたが、タブーのないのが売りだった。タブーのないのがタブーだった。そのころMはソープに通いだしていた。風俗情報誌を買って、名古屋まで出かけるくらいのマニアになっていた。別に若者が風俗店に行くのは悪いとは思わない。俺は行ったことないけど。だからそれ自体はギャグにはなり得ないのだが、Mの場合、異様なまでに店の女の子に熱を上げすぎた。その女は新宿のソープランドにいた。俺と自殺君とヒロユキで、ソープランドに行くMを奴を見送りに行った時もある。飲んでたら突然行きたくなったらしい。宮殿みたいに豪華な店だった。1回7万円だ。かなりの回数通ったと思う。せめてイメクラとかなら良かったのに。午前中なら6900円くらいで10分の1だ。この時期、熱っぽく風俗嬢について語られるのには参った。いつもビールをおごってくれるらしい。終わった後の話がいいらしい。何だか風俗嬢の嘘の経歴を真に受けてるみたいだった。「そしてかわいいんだな。これがまた・・・。」ここまでならMの持ちネタの一つで、まだ良かったのだが、やがて恋の季節が終わりを告げた。ある日突然店を辞めたらしく、次の店もどこだか分からなくなった。Mは落ち込んだ。あの時みんなが、馬鹿にしなけりゃ良かったのかもなあ。でもなあ、面白かったからなあ。部員の書き込みがしてあるノートを、Mは持って帰ってしまった。たぶん捨てたと思う。Mは屈折した。屈折を繰り返してそろそろ真っ直ぐになってもよさそうなもんだった。酔いつぶれることが多くなった。学生会館の廊下に吐き散らして俺一人で掃除したこともある。新宿でチーマー(死語)に喧嘩を仕掛けて、慌てて周りが止めたりした。だんだんみんなの笑いものになっていった。Mがチーマーの格好をして、大学中を練り歩いて、写真集を作ったときは面白かった。チーマー写真集でのMは、赤い帽子をかぶって上は紫の網ジャケット、赤いシャツ、虹色のサングラス、黄色いひざまでのパンツ。教室をめちゃくちゃにして教卓にMが寝そべっている写真をとった。金を巻き上げるシーンをとった。女子トイレから出てきた学生を脅すMをとった。ごみ箱をあさるMをとった。事務所の受付で手を上げて人を呼ぶMの写真をとった。事務所の人は笑っていた。そういうわけで「馬の骨」「雑魚ども」といった、奴のボキャブラリーに「おれ、ちょっと死ぬから」が加わった。「死ぬー死ぬー」と、酔っぱらって道端で寝ッ転がるのが持ち芸になった。

部室で飲んでたら、いつものようにMが吐いた。そして暴れだした。嘔吐物がおれの四次元バック(いろいろな物が入っていたのでそう呼ばれていた)にかかった。Mの服が汚れたので裸にして、部屋の隅にあったカビの生えた柔道着をみんなで着させた。結構寒い日だった。それで奴の顔にマジックで落書きした。油性ペンの12色セットを使った。俺らは奴をそのままにして、店で朝まで笑い転げた。朝になって、部室に戻るとMがいなかった。「世話になったな」と黒板に書いてあった。奴の話だと、真夜中に一度起きて、コンビ二まで行って、その後力尽きて路上で寝てたところを警官に起こされたという。一つだけ確実なのは、柔道着を着て蓮田まで帰ったことだ。奴は柔道より剣道が好きだった。小学生の頃、剣道の全国大会で、武道館でやったらしい。あと得意なスポーツはボクシングで、高校中退した後ボクシングジムに通っていたらしい。3年生になって、あどるのが新入部員として入ってきた。あどるのは、アドルノが大好きだった。最初のうちMとあどるのはクラシックのCDを借りたり、アドルノ勉強会をやったりして仲が良かった。だけどMなので、だんだんうまくいかなくなっていった。あどるのには彼氏がいるみたいだった。ここら辺で、しばらく様子を見るべきだったのだろう。友達っぽく付き合い始めて、だんだんだんっと仲良くなっていくような、ぬかるみの中をほふく前進していくような、じとじとねちねち、たってんだか座ってんだか斜めなのか右曲がりなのか、まだるっこい、真夏の昼下がりの豆腐屋のラッパのような、あだち充の三角関係みたいに続ければよかったのだ。でも続けられるはずがなく、なぜならそれが奴だからで、さらに言うなら俺もそうだ。Mはストーカーっぽく「俺と付き合ってくれー」と真夜中に電話するようになった。あどるのはなかなかだった。部室にまでその問題を持ち込まなかった。ある意味Mに同情を示した。二人で手紙のやり取りもしていたようだ。ある日、哲学研究会で納会をした。Mはあどるのに話し掛けなかった。酔ってニヤニヤしていた。あどるのの留学話がメインでいろいろブラジルの写真をみんなに見せた。「欲しいよお、欲しいなあ」とMは満面の笑みを浮かべて写真を見ていた。だんだん酔いが回ってきて、そのうち俺を突き飛ばした。ぶん殴られて、椅子ごと後ろに倒れた。やばいので店を出た。Mは俺にキックし続けていたが、ボクシングのファイティングポーズを取ってないので安心だった。みんなはカラオケに行って、俺はMを連れて帰ることにした。「ちょっと持ってろ」とMはバックを俺に渡した。駅前なので、かなり人通りがあった。ジッパーを下げると街路樹に立ちションしはじめた。俺は恥ずかしいのでそばを離れていた。立ちションが終わってMは周りを見た。俺がいない。きっとおれは、みんなとカラオケに行ったんだ。そう奴は考えた。Mはパチンコ屋の前の飾りの花を立て続けに引っこ抜いた。通行人の腹にパンチを食らわせて、カラオケボックスに向かった。俺は引き止めた。奴はおとなしくなって、「じゃあな」と地下鉄の出口で別れた。

奴もドイツに一ヶ月行くことになった。ホームステイらしい。前の日に出発祝いをやるそうだったが俺は行かなかった。当時のMはワンパターンだった。あどるのについての愚痴が終わると、ナルシストパフォーマンス、そして調子に乗ってあどるのに電話してふられ、泣き叫び、意味不明なままその日が終わるのだ。みんなはそういうMを見て笑っていた。おれは嫌なので家にいた。そろそろ寝ようかという明け方の4時に、電話が鳴った。「昨日、Tがたきつけて、あどるのの家に電話かけさせたら、つきあってくれよお!ってMが叫び出しちゃって、しまいにゃ泣き出しちゃって、大変になっちゃって。部屋の中めちゃめちゃになっちゃって。俺達酔っ払ってて、とてもじゃないから成田まで行けないから、お前送ってってえ・・・」どうやら完璧にあどるのに振られたようだ。俺は始発で2時間かかってMの家まで着いた。これから海外に行く人間の部屋じゃなかった。昏睡状態みたいにみんな寝てた。祭りの後って感じ。電話をかけた自殺君は先に帰っていた。めちゃくちゃ急いで支度した。Mは割としっかりしていて、途中何度か道に倒れる程度だった。右手に奴と左手に旅行かばんを持って俺は出かけた。電車の中では、吐かれると困るのでごみ袋を持たせた。電車の中で、Mは中吊り広告を引っ張りだしてなんか上機嫌だった。俺は成田なんか行ったことないから、めちゃくちゃ迷った。ホームの階段を行ったり来たりした。でもちゃんと着いて、フライトまで30分待つことにした。Mが飛行機の受付をたらいまわしにされていて見ていて面白かった。前の夜にあどるのに電話したことをMは覚えていなかった。何を話したのか本人に聞くために電話しようとしたので俺はとめた。電話の前で華麗な攻防が繰り広げられた。レストランに入った。そこでMはビールを頼んだ。俺はとめた。Mは「トイレ」と言って席を立ち、しばらくして目の前にビール瓶が来た。奴は全部飲んだ。フライトの直前に、奴の部屋のカギをもらった。一ヶ月好きに暮らしていいという。一ヶ月間、俺は一度もその部屋に入らなかった。奴がドイツから帰ってきて、部屋に入ったら、夏だったせいか、いい具合に腐食が進行していて、たまらないにおいを発していた。ばかでかいワイン瓶の中に、ばかでかいゴキブリが浮かんでいた。ドイツでのMは、ずっと部屋の中でビールを飲んでたらしい。別に普段と変わんないじゃん。俺は4年で卒業したけど、Mは8年までいた。Mは気に入った講義にしか出なかった。夏のレポートを次の年に出すくらいのマイペースぶりだった。だけど成績は良かった。シャレの分かる教授が、いい得点をつけたのだ。たぶんほかの大学、学部では、存在できなかった人種だと思う。

だけど大学に8年通って、単位を全部取ったけど、Mはまだ、卒業していない。噂を聞いたのだが、本と引き換えに卒業証書が渡されるそうだ。昔ダイヤルQ2を奴の家でかけてたTのせいだ。TがMの学生証を借りて、大学図書館で本を借りた。元京大大学院生のTのことだから、きっと日本に何冊もない本を借りたのだろう。その本をTはいつまでも返さなかった。きっとなくしたんだと思う。燃えるゴミの日とかに出しちゃったんじゃないか。大学側は、Mの卒業時にその本の返却を要求した。今のMは前人未到の大学9年生だ。本を返さない限りいつまでも大学生なのだろうか。大学を卒業しないとMは高校を2回中退しているので、最終学歴は中卒になってしまう。大学中退という権利を持つためには手数料が必要で、多分そんな手続きを奴はしないと思う。付け加えるなら、中学も登校拒否していた。ということは、学校教育を無視して、あの男は存在していることになる。進学校から浪人生活を経て、一流大学、それっぽい企業、と、プログラム化されたレールの上に乗っかった俺にとっては、その辺が魅力的であるのだが。

それはともかく大学3年時代に戻ろう。落合にあいつが引っ越したので、俺も落合に部屋を借りることにした。会社帰りにMにばったり会った。なぜか手にでかい蟹を持っていた。バイト先でもらったそうだ。一緒に食いに奴の家まで行った。車が通れない狭い路地をぐるぐる行って、奴のアパートに着くと、二階の窓から顔を出して、口をぽかんと開けて、ぼんやり外を眺めているおじさんがいて、奴の隣人だった。侘しいような寂しいような、独特の表情だった。Mと仲が良くて「大丈夫か」って感じで奴を心配していた。ある日、下の階の住人が、「なんで夜中にいつもドタドタやってんですか」と苦情を言いに来た、Mが酔っ払って暴れてましたすいませんと謝ると、「やってんのは本当に酒だけなんですか」と聞かれた。薬でもやってんじゃないかと疑っているのだ。隣人の方はMをそっとしといてやる感じだった。Mは冬でも窓を全開にしていた。タバコの煙が充満するかららしい。寒いなかで蟹を煮て食った。バルサンを炊いたとかで、パソコンや本棚やテーブルや、部屋のもの全てに、新聞紙がかぶさっていた。健康に気を使っているとか言い出した。実家からオリゴ糖の大瓶を送られて、奴は毎日大切に舐めてた。蟹にかけた蜂蜜の大瓶も、実家からの贈り物だ。床に皮膚病の薬が散らばっていた。たまに目覚まし時計の残骸が散らばっていることもあった。粉砕された電話が落ちている時もあった。当時落合にはジョナサンしか食い物屋がなかった。よくそこで2時くらいまで意味なく飯食ってた。スピリッツで「三名様」っていうのがあるだろ?あんなかんじ。Mは店員のコバヤカワが好きで、徹夜で勉強したり、意味なく注文したりして、通いつめていた。ジョナサンの服装はピンクで、ちょっとエロいと思う。そういえばMは、葛飾のどっか有名な公園でソーセージや焼きそばを売る屋台でバイトやっていた時期があって、そこも女目当てだった。公園の事務所にいる女だそうだ。一度も話し掛けたことがないという点は、いつものことだ。カップ酒片手に公園で焼きそばを売る姿は、もしかして奴の天職だったんじゃないかと思う。よくMは遅刻したり酔っ払ったりして、親分に心配かけたそうだ。以前にドイツに行った時、奴は友達を見つけた。そいつがバンドやってて、奴もメンバーになった。Mは屋根裏とかいうライブハウスに出たりした。俺もライブを見に行ったことがあるけど、奴が奇声を発していて、弾けないギターを弾いていた。 俺は演奏よりも、その日に聞いた、Mが親から土下座して借りた20万の行方が気になった。なんとなくバンドの運営費みたく使われているのではないか。「まあ、あいつも対等に付き合ってくれる友達がいてよかったじゃん。俺達おもちゃにしただけだったんだから」と自殺君が言った。確かにそれには一理あった。自殺君というのは、この前自殺未遂したからつけたあだ名で、そいつが睡眠薬飲み過ぎてラリラリになっちゃった時にMに電話した。「10箱飲んでも死ねないから、お願いだからもっと買ってきて・・・」Mは真に受けて、本当に薬を買ってきた。同じ用件で呼びつけられたゼッキーが、「そんな場合じゃねえだろ」と、漫才みたいに突っ込みを入れたらしい。Mはタクシーに乗って来たけど、ちょうどいいっていうんで、そのままラリラリの自殺君を乗っけて病院までいこうとしたら、怯えた運転手が逃げた。だからMのタクシー代は無料になった。自殺君は病院で胃洗浄して助かった。その後も自殺君は、精神科に通い続けた。この前も自殺君は医者に入院を勧められたけど、病院のベッドが足りないのであきらめた。新宿の病院だと、20人待ちらしい。町には少なくとも20人の入院が必要な精神病患者がいることになる。1日1万の個室は空いてたけどね。俺もMの助けを借りたことがある。俺が好きな女にラブレターを送ろうとした時、それだけだとなんか自信がないので、Mに俺の推薦文を書いてもらった。その推薦文は、便箋に5枚以上にわたる丁寧なもので、けっきょく俺は振られはしたが、いたくその女を感動させることができた。その件についてはとても感謝している。あと一緒に曲を作ったのも良かった。わざわざスタジオを借りて、二人で弾けないギターを弾いた。Mの趣味はヘビーメタルだった(ドラえもんの時代からだいぶ出世したと思う)。即興で奴の頭から自然に流れ出てきた、ふらふらっとした歌に、後で俺がシンセで曲をつけた。その頃奴は高円寺に住んでいて、アンプをつけてギターを弾いても、大家に何も言われなくて快適だった。そこで作業するのが楽なので、俺が買った20万のシンセサイザーは、奴の部屋に一年以上置かれることになった。返せと言うと悲しい顔をするので、なんとなくそのまま置かれていた。あいつも来客に自慢できてよかったと思う。そこでCDを作った。一曲目はもちろん「神田川」だった。突然Mが「安田地獄」って叫ぶあれ。なんで安田なのかというと、卒業したきり連絡がつかない友達の名前だから。まあどうでもいいけど。Mはカラオケボックスでバイトしはじめた。俺は2年くらいタダでカラオケできて快適だった。そのあと俺は仕事が忙しくなってきて、あいつもあいつでキャバクラの方にハマっていった。キャバクラで酒を飲むと、酔いが醒めても酔った気分でいられるのかもしれない。

金子という友達がいて、そいつも大学8年までいたんだけど、そいつとつるんでMは馬場の栄通りに通い詰めた。真奈美って女が目当てだった。女からディズニーランドのお土産とかもらって大喜び。話がよく合うらしい。同伴とかしてもらえるし、真奈美にとってはいい客だった。同伴というのは、店に入る前に二人だけでデートをすることで、店に入った後はその女を指名するのがお約束だ。「Mが有金全部はたいて、4万円握り締めて、今日こそ勝負だって言って、今から店に行くんだけど、一緒にこない?もう、あいつ酔っ払ってて、何だか分かんなくなってるから、絶対おごってもらえるよ」と夜中に金子から電話があったが、かわいそうなので、俺は行かなかった。で、勝負をかけてどうなったかというと、まあ、いつものように振られたと・・・。デートとか飲みにいったりしたらしいけど。真奈美の大学のレポートをがんばりすぎて、カラオケボックスのバイトを無断欠勤してクビになったりもしたけど。真奈美は金子の方を好きになった。ありがちだよね。そばにいた男の方を好きになるってパターン。金子は、まつげが長いのが唯一の長所みたいな奴だった。昼下がりの午後、白金あたりのオープンカフェで、木漏れ日を浴びながら、金子と真奈美はMの出したラブレターを読む。「うふふふふ。ねえ、これ見て、これ」「ふふ、あいつ、こんなこと書いてるぜ」ハハハハハって爽やかに笑いあったりしていた。突然、Mは山形の運転免許教習所に、合宿に行った。何日か前に、酔っ払って真奈美に抱きついて、道路をグルグル転げまわって怪我をさせたらしい。ほとぼりが冷めるまで山にこもることにしたらしい。山から戻ってすぐに、Mはインドに2ヶ月行って、一度日本に帰って、すぐにドイツに1ヶ月行った。俺は、Mの顔面が血だらけの写真を持っている。ゾンビみたいなポーズをとっている。インドに行ったときだ。妙になれなれしい現地人についていって、一緒に酒を飲んだら、法外な会計を払わせられる羽目になった。よくある手にかかったわけだ。会計をMが拒否して口論となって、最後に瓶を叩きつけられた。帰国後しばらく、病院に行って額の糸を取らなかったので、黒い糸が飛び出ていてすごく不気味だった。Mに殺されるので金子は真奈美との仲を黙っていた。でもMに気づかれた。電話で金子とMは仲直りした。その後、金子とMは2人でよく飲みに行っていた。友達がどんどん卒業していくので、2人とも友達が極端に減っていたのだ。しかしその仲のよさも長くは続かなかった。ある日、Mが酒につられて以前の怒りをふと思い出した。口論の末、金子がぶん殴られて、鼻っ柱に傷が残った。その後何日かして、俺が仕事から12時に帰ってきて、さあ寝ようかと思ったときに電話が鳴った。「おれ、今から金子、殺すから」とMは言った。「おれ死ぬから」というボキャブラリーの逆を行く発想で、すごいとその時俺は思った。「殺すよ。殺すからね」と、何度も繰り返していた。突然電話が切れた。おれは金子に電話したが、電話中でつながらなかった。めんどうなので寝てしまった。次の日、金子が起きてドアを開けると、ドアにもたれかかってMが寝てた。「おれ、殺すよ。・・・ちょっと殺すからね」もごもごいいながら帰ったという。Mの、見当はずれのストーカー行為は、その後何度か続いた。金子がドアを開けるとMが外で寝てる日々が続いた。「金よこせ」と金子の部屋に上がりこんできたこともある。ないのが分かると「じゃあこれでいいや」と、ウイスキー瓶を持って帰っていった。

ある日金子がドアを開けるとMが寝てて、「話をしよう」という。「俺の公園へ行こうぜ」どうやら公園で寝泊りしているらしい。高円寺の部屋を引き払った後だった。昔、酔っ払ってホームレスの家に泊めてもらった時の経験が、活かされたのだろう。奴の髪は、ごわごわで、公園のベンチの形に段段ができて固まっていた。近くの飲み屋とはもう顔見知りの仲になっていた。店に入って二人は話したけど、Mのほうはなんだかろれつが回ってなかった。会話が伝わりにくい状態だった。「ダークロとゼッキーと自殺君は友達だったけど、あいつらはもう友達じゃないし、俺の8年間はなんだったんだ」とうなだれていた。真奈美だけでなく、勝手に俺らとの仲も完結させたようだった。真奈美以上の女を捜しているそうで、蓮田にあるキャバクラの女の名刺をずらりと見せた。そのうち、いかに真奈美を愛しているかをうつろな目で熱く語りはじめた。金子は冷静に見て、奴の顔の上に「the end」を重ねたようだ。真奈美の通う専門学校は目白にある。朝、目白駅を出て歩いていると、高い壁の上にMが座っていた。「00(真奈美の本名)〜!愛してる〜!」とMは叫びつづけた。真奈美は学校に行かずに逃げた。そんなこんなで、俺が最後に会ったのは、奴の車に乗ったときだ。インドから帰ってきてから奴の運転する車に乗ったけど、えらくマナーがいい運転でびっくりした。その時シンセを返してくれた。そして何日かして落合の部屋を引き払い、Mは蓮田に帰った。それ以来、会っていない。あんなに仲が良かったのに。今の奴にとっては、俺が敵に見えるのだろう。俺は奴に3針縫う傷を負わせたことがある。あいつの頭が真奈美でいっぱいの時だ。みんなで飲んでたら、俺の隣の友達が、Mはどういう奴なのかと聞いてきた。Mはいつものように黙り込んでた。本は読んでなかった。俺は奴を褒め称えた。だけどMは悪口と思ったらしく、突然、向かいに座っていた俺めがけて茶碗を投げた。俺の頭に当たって分厚い茶碗がパリンて割れた。その後4日間、俺は痛くて会社にいけなかった。店員が氷を持ってきてくれて、しばらくねっころがった。起き上がって帰ろうとしたけど、外に出たときにフラフラになって、俺は道の端っこの自転車の列に倒れこんだ。だんだん頭にきて、店に引き返して、気持ちよく寝ている奴の顔にコップを投げた。コップが割れて、破片が奴の顔に飛び散った。今まで散々蹴られたり殴られたりしたけど、ちょっと俺の方で礼儀がたりなかったみたいだ。今回は奴とコミュニケーションをとろうとしたまでの話だ。「こんちわ」と向こうが茶碗投げてきたから、「あ、どうもどうも」と、コップを投げただけ。反省はしている。まあそれ以来、俺の方から別に取り立てて用もないし、向こうも怪しいフィールドに行きつつあるみたいだし、話すこともなくなった。真奈美にケガさせたことも山形やインドやドイツに行ったことも、だいぶ後になって他人から聞いた話だ。ああ疲れた。無職になったので二日間ぶっ続けで書いてみた。過去を振り返るのは、自分を学ぶことだ。ここには事実だけがあって、希望もなければ慰めもない。カーテンの隙間から朝日が差し込む。大学生みたいな日常だ。さてこれからどうしようか。シンセサイザーを俺に返して、奴は生まれ故郷の蓮田に戻ったのだ。今ごろ親と仲良く暮らしていることだろう。平穏に、穏便に、平和に、平静に、平成に。そのうち奴は、屈折した笑いをむけると思うけどね。俺に向けないでほしいけど。あの日、おれが言ったことは、バイアスワード、つまり、傾向性をもった言語で、いい意味にも取れるし悪い意味にも取れる言葉だったのかもしれない。Mは、悪い意味合いにとって、怒って茶碗を投げつけたのだろう。いつも俺は、奴を評す時、この言葉から始めている。「奴は天才だ!」

追記
その後、Mはイベント会場の大道具の仕事に就いた。その後も何回か会ったけどわりと幸せそうだった。「卒業できたのかよ」「あたりまえじゃん」最後に話したのは「気持ちいい気持ちいい」と俺が渋谷クアトロでのイベントになぜか出演していて跳ねてた日だ。フロアの隅で寝てたら電話がかかってきて「わが社は順調でやっとります。またなんか、近いうちに会おうぜ」とご機嫌だった。「あ、ちょっと待った。今事故りそうだから」直後にすごい音がして、電話が切れた。


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