第7章
「マーパラ」


靴の底は土だ。地面はコンクリートでできている。有害物質をまきちらす自動車の列は、無視しておれを通り過ぎるだろう。1人たたずむおれを見て、少しは興味を引くかもしれない。町はホコリの匂いで満ちている。おれの中を町がどうどうめぐり。おれは土だ。町はコンクリートでできている。ホコリの匂いで満ちている。   H

暗闇から彼らはやってきた。説明のできないほどの無意識の空気のような虚無から。虚無。虚無。時空の全てが虚無で満ちている。彼らは、そこからやってきた。つながりつつある。我々の世界は彼らの世界とつながりつつある。虚無。虚無。とらえどころのない空気。雰囲気が押しよせていく・・・。我々の世界は異世界である。この世界で通用する法則や常識や慣例は、αケンタウルス星人には通用しない。世界は、そう、この世界はやがて消滅する。ここはどこでもない。いつでもない。誰でもない。だから、飛べ。飛べ。飛べ。sai

僕は部室の壁を見つめた。壁の汚れが、いろいろな形に見える。水が流れるように壁の汚れが揺らいだ。水の流れに僕は見とれた。心の取り方によっては高低があるようにも見える。ふふん、おぷちかる、いるりゆうじよんか。飛行という考えが、僕の頭をとらえた。僕には飛ぶということが、なにかしっくりこない考えに思えた。しっくりこない・・・。ロックバンドが、部室のすぐ近くで演奏している。
「せかいはおわーるぅぅ、せかいはきえぇるぅぅ・・・・・・」
と彼らは演奏している。世界は終わりに来ているようだ。
「僕は飛んでいる」
突然、僕の口が言葉を吐いた。
「いや、違う。この世界が、今、飛んでいるのだ」
僕の声がコンクリートに跳ねかえって、僕の意見を現実のように確かなものにした。
「そう!これは夢だ。これは死の前兆であり、頭蓋骨の空洞の気まぐれだ。夢の中の点滅する突然変異だ」
そうなのだ。僕が探していたのはこれなのだ。僕が探していたのは・・・。これは全部夢なのだ。
「夢だとしたら・・・・・・・・・美しい夢だろうか」
僕は部室ノートのページをパラパラめくった。
「カギを探せ。カギを探せ。カギを探せ」
以前のサイの書き込みだ。サイの部屋は、一体どこにあるのだろう。僕はサイの部屋を思い浮かべた。何回も行っているはずだから、よく覚えている。たぶん。

ここに、テレビがある。ここに、ラクダの置物。ここの湯飲みは、2人で学園祭に行った時に買った物だ。パステルカラーのホットカーペット。たくさんの本本本・・・。ずらり。鴎外全集、シェークスピア全集。すごいものだ。ユニットバス。玄関の小銭の入った缶。天井の蜘蛛の巣は、かわいいからそのままにしている。育ちすぎたポトス。きれいな台所。ぬいぐるみ。そして存在感のある冷蔵庫。ウィィンと音のする、大きな四角い白い鉄の箱。置いてある位置の関係で、黒いコンセントのコードがホットカーペットの上にのびている。
「なんでこんな所にコードをのばすの?」
「だってこの壁にコンセントがついてないんだもん」
「だったらそこの壁に冷蔵庫を置けばいいんじゃ?」
「だってここに置きたいんだもん。いいでしょ?自分の部屋くらい。・・・好きにしたっていいじゃない」
サイはこの時すごく怒った。
「それにいつかこのコードが役に立つかもしれないよ・・・」
と不機嫌そうに言っていた。白い冷蔵庫は今もあるのだろうか。

サイの部屋での朝ご飯を思い出した。いつも僕は、サイの部屋で朝ご飯を食べていた。白い冷蔵庫の前に僕は座っていた。
「どこ向いてるの?ご飯、冷めちゃうよ」
とサイが言った。
「・・・うん」
僕は食卓に向かった。味噌汁に卵焼き。鮭とノリがあった。
「やっぱり朝は納豆だよね」
と僕が言った。もうすぐ3限目の講義が始まる時間だった。
「醤油、取って」
とサイが言った。
「いいよ」
目の前の醤油ビンをサイに差しだした。
「ありがとう」
「あれ、納豆になに入れるんだっけ?なにか足りない気がするな」
たしか、あの納豆には、なにかが足りなかったのだ。なにが足りなかったんだっけ?なにかを入れたような気がする。なにを入れたんだっけ?

・・・それ以上は思い出せない。記憶がプツリとそこで切れていた。ノートを閉じると、マティが部屋に入ってきた。
「よお、この間は世話になったな」
長髪が顔にかかって表情が見えない。
「そういや、さっき小田に会ったけど、また逃げられた。あいつなんなの」
「さあ」
「まあいいや。ここで飲むコーヒーはうまい。それに暖かいし。照明も暗くていい。・・・少しくさいけどな」
マティは缶コーヒーのふたを開けた。マティは僕の正面に座って机の上に足を乗せた。いつものように皮ジャンを着ている。世界中的で満ちあふれているようなすごい目つきが長髪の奥でのぞいていた。
「クロコダイルは?」
と僕が聞いた。
「ああ。元気だよ。・・・よゆうだぜ」
コーヒーを一口飲んで、フウッと息を吐いた。
「最近ため息とアクビが同時に出るよ」
マティは缶コーヒーを置いた。缶のゴトンという重い響きに僕は驚いた。
「エ、エリザベスは元気なの?」
「全然ダメだね・・・。あの女。終わってるよ。あいつは人間でもなければ生物ですらない。たわけたDNAのらせん構造だよ」
マティはもう一口飲んだ。
「なんかまたヒッピーが書いてやがるな」
と、部室ノートを見ながら言った。
「あいつ、最近全然見てないけど、一応部室に来てることは来てるんだな」
「あいかわらず路上生活を続けているのかなあ」
と僕が言った。
「さあね。部室に泊まることもなくなって、今はどこに住んでいるんだ?」
「住所不定の学生か。いつも事務所の呼び出し掲示板に出ているよな」
「連絡の取りようがないからだろ。あいつ、まだギラギラした目つきしてんのかな」
「あの目つきで「冬になると本当に死ぬんだよ。でも春になるとまた増えているような気がする」とか言われると、妙に説得力があるよな」
「ああ。また、あいつと話してみたいよ。・・・そろそろ行くかな」
マティはグイッと飲み干して缶を机に置き、ゆらりと立ち上がった。
「これからどこ行くの?」
「ちょっとKの店の頼みで、マーシーパラダイスに行ってくるよ」
「マーシーパラダイスって、なに?」
「飲み屋の名前だよ。通称マーパラ。マーパラで、Kの店のオリジナルの象石酒を売っているらしくて、それをやめさせてくる」
なるほど。マティは問題屋なのだ。そこには問題があって、マティが出るのは当然のことなのだ。マティは問題屋の中でも変わっていて、たまに自分自身で問題を引き起こすこともある。つい最近も、講義中に突然テスト用紙を配り始めて勝手にテストを行い、全員を「不可」にさせた事件を起こした。恒星第8世代族の権力争いにまきこまれたとマティは言っている。それ以前にも、大学の14号館、通称「大学肝臓」を爆破して崩壊させた。
「ちょっと問題が起きてね」
と後日、マティはさらっと語った。
「一発ぶちかましてやったぜ」
マティの回りにはいろいろな騒動が持ち上がっている。問題の増殖機械のようなものだ。
「じゃあな。がんばれよ」
と僕はマティに言った。
「ああ」
マティはドアを開けながらふりむいた。
「ああ、そうだ。ジュカンがマーパラで待ってるぜ。おまえに話があるとか言ってた。一緒に行こうぜ」
「ジュカンか。そういえば、最近あいつにも会ってないな」
「早く来いよ」
「・・・でも、白い男に狙われてるんで、あまり知らない場所には行きたくないな」
「ああ、白い男か。そういえば、あいつ、黒い男を追いつめたらしいぜ。だから、おまえはもう大丈夫なんじゃねえか?」
「え、そうなの?永遠に探しつづけると思ったけど」
「いや、新聞で読んだけど、もうちょっとで捕まりそうだってよ」
「そうか・・・じゃあ、僕も行くよ」
僕も立ち上がった。

あいかわらず人が多かった。
「まぶしすぎるんだよな」
とマティがサングラスをかけた。
「・・・いきなり晴れたよね」
と僕が言った。
「そこを右だ」
確信に満ちた足どりでマティは進んでいく。
「左じゃないか?そっちだと大講堂だ」
「じゃあ、おまえは左に行けよ」
「おい、待てよ!」
僕はマティの後を追う。マティはどんどん進んでいく。
「おい、ちょっとあれ取ってきて」
とマティが指さした。
「号外!号外!」
と叫びながら貴族や浮浪者が新聞スタンドで大学新聞を配っている。
「ほら見ろ。新聞に書いてある」

 黒い男、ついに逮捕か?

なるほど。確かに新聞に書いてある。だが、まだ居所をつかんだだけで、逮捕したわけではないようだ。マティは道をズンズン進んでいった。マティの進む先で、ロックバンドが騒がしく演奏していた。
「なにが世界の終わりだ。誰が終わらせるっていうんだ。世界を作り出したのは人間じゃないんだよ。おれ知ってるからね。ああ・・・。人間なんてコバンザメみたいなものだろ?しょぼい馬の骨が終わらせることなんかできないんだよ。お、え、永遠に続くんだぜ。永遠だよ。うう・・・永遠。終わりはないよ。果てしない物語だよ」
僕たちは古代建築通りまできた。大学創立時から一度も改築されていない古代建築がいくつも立ち並んでいる。昔は校舎だったのだが、あまりの古さに見捨てられた場所だ。今は廃墟になっている。建物の壁は部屋を区切るのをやめて、洞窟のようにいくつも穴をあけている。階段は崩れ落ち、それぞれの窓に向けてはしごが外にかかっている。道路は人を通すのをやめて、行き止まりや落とし穴やゴミ捨て場や住居に姿を変えていた。僕が馬車から飛び降りた場所だ。退屈な町並みだ。日に当たる場所ではなく、暗がりが充実しているところだ。道路に大きな恐竜の足跡が描かれていて、すぐ横に
「ここを怪獣が通った」
と文字が書きこまれていた。
「よくこんなの見るけど、こんなに大きい足跡のやつがここを通ったら、絶対校舎も壊すぜ。でも校舎が破壊されたって話は聞かないんだよな」
とマティが言った。さらに、ずっと先まで進んだ。貧乏臭いへらじか身代わり店とペットショップボーイズショップの前を通りすぎた。マーパラは治安の悪い場所で豪華に建っていた。巨大な看板が明るいサイケデリックな照明をはなっていた。外も中も、全面カガミ貼りだった。中に入ると、壁中から原色の光線が無数に走り、ミラーボールが光を乱反射させていた。光の洪水だ。店内が白くぼやけて見えた。バイオリンのシンフォニーをグニャグニャにさせたような音楽が同時に3曲かかっていた。不協和音の固まりだ。彫刻、カーテン、スターのサイン、ぬいぐるみ、ワインの瓶、毛皮、観葉植物、ステンドグラス、マネキン人形、ドライフラワー、テレビモニター、写真、油絵などが、店内に無秩序に飾りつけられていた。カオスなトータルコンセプト。人工的なフルーツの匂いが充満していた。店内は清潔で新しく、ピカピカでチリ一つなかったが、店にある全てがゴミといえばゴミにも見えた。
「なにか、不自然だな」
「ああ・・・居心地悪いな」
「ちがう、あそこを見ろよ」
僕は店内の隅を指さした。
「・・・あそこだけ虚無だ」
店の隅に虚無があった。
「どうなっているんだ?」
「よくわからねえ・・・おい、あのテーブルにジュカンがいる。おれは仕事をしてくるよ。じゃあな」
マティはウエイターの制止を振りきり事務所に入っていった。やがて、そこからものすごい音が聞こえはじめた。店の従業員たちが次々に事務所に入っていく。

僕はジュカンの目の前に座った。ジュカンはあいかわらず無表情だった。
「僕を呼んだって?」
「・・・ああ。話がある」
騒ぎが大きくなってきた。用心棒らしき屈強な男たちが、無言で事務室に入っていった。
「私がαケンタウルス星人だ」
「知ってる」
「おい。その、「知ってる」という口調は、やめたほうがいい。相手の気分を悪くする。そのうち誰も、何も教えてくれなくなるぞ」
「そんなことより、αケンタウルス星人が大学をのっとったっていうのは本当か」
「我々は苦境に立たされている。・・・我々では解決できない問題に取り組んでいる」
飲み物を頼みたかったが、店員が誰もいなかった。みんな事務所に行ってしまったのだろう。ジュカンは僕の目の前で真っ黒い液体をストローでじゅるじゅる吸いあげた。
「おまえ、本当に、αケンタウルス星人なのか?」
「そうだ」
「・・・なんだ。ギャグじゃなかったのか」
「ギャグ?」
「・・・大学当局を消し去ってαケンタウルス星人がその地位についたんだろ?今の大学を支配しているのはαケンタウルス星人。君たちだ」
「いや。君は問題提起の次元において誤りを犯している。問題なのはそういった種類のものではない」
「違うだろ?問題なのはそこだよ。大学当局を消し去ったと同時に、おまえたちはサイを消し去った。問題なのはそこだろ。君たちはサイを消したんだよ」
「そうではない。いや、違う。我々の次元発動機の試作品が誤作動して未知の空間へと飛翔したのだ」
「サイをどこへやったんだよ!」
「4次元パースぺクティブが故障した結果に違いないのだ」
「αケンタウルス星人がどうなろうと知ったことかよ。君たちはサイをどこへ消したんだ」
「問題は我々だけが保持しているわけではない。君たちにも関係したことなのだ。消えたのは我々の責任かどうかは分からない。少なくとも主体的には違うはずだ。どうなっているのか分からない。解決不能の出来事があまりにも多すぎる。どこへ消えたのかも分からない。そもそも、はじめから存在したことさえ疑わしい」
「じゃあ、どうすれば戻ってくる?」
ジュカンは僕の顔を長いことじっと見つづけた。
「我々には理解不能の言葉だよ。・・・・・・戻ってくる?いや、そんなことは、この宇宙ではありえない。戻ってくるものなどなにもない。我々は常に変化しつづけている。何も戻ってこないし、戻る場所など、どこにもない」
「だけど、αケンタウルス星人は、αケンタウルス星に戻りたいんじゃないのか?」
「そうだ。問題の核心はもしかしたらそこかもしれない。しかし違うかもしれない。いずれにせよ我々はこことは違うどこか別の場所へ行きたい」
しばらく2人とも黙った。
「うう、なんだ。この匂い・・・」
どこからともなく焦げつくような悪臭がやってきた。事務所のほうから真っ黒い煙が吹き出ている。マティは大丈夫なのだろうか。
「それじゃあ、消えてしまった人間についてはαケンタウルス星人でも分からないということか?」
「そのとおり」
「そうか」
僕の頭はグルグルと動きつづけたが、何の解決方法も見つからなかった。
「あ、あそこにいるのは、丸子じゃないか?」
すぐそばの通路に、隕石教会の伝道服を来た丸子が立っていた。哲学研究会のメンバーだ。
「いいよ。ほっておこう」
「そうだな」
僕は前に向きなおった。
「本当にサイの消えたことに関して、αケンタウルス星人は関係ないのか?」
「おそらく問題は、4次元パースペクティブなのだ。それが直れば我々の問題は外見上は解決する」
「僕がそれを直せるんだろ?」
「そう。君なら直せる。君はあの装置、あの部分の最後の部品、スイッチだ。君があの中に組み込まれることにより、あれは正常に作動するはずだ」
機械に取り囲まれる自分を想像して気分が悪くなった。異質な存在を受け入れるような気持ち悪さだ。
「そうか」
「君は、4次元パースペクティブを直してくれるのか?」
「それってなんだ」
「実のところ、よく分からない。しかし我々の考えでは、あれは安定機だ。世界の重りだ。浮遊しないように地面にとどめておくためのものだ」
「今は浮いているのか?」
「そうだ。世界は浮いている」
「・・・浮いたままだと、どうなるの?」
「君がここから浮かんで大気圏を突き抜けて宇宙へ飛び出すようなものだ」
「今はまだ地上50メートルくらいかな」
「それくらいか、それより上か下かのどちらかだ。浮いている時は、とても気分がいい。最高だよ」
「そんなに気分がいいとは思えないよ。浮かんでても問題を抱えている僕たちって、一体なんなの?」
「危険だ。通常よりも危険だ。・・・自らの存在が大きく関わっている」

そこへ丸子がやってきた。
「宇宙はふくれあがり、そのスピードが時をとてつもない速さで作り出すのです。宇宙は同時に、そう、時を止めた場所こそ重要なのです。宇宙は同時に縮んで時を吸いこみます。宇宙は縮んでいき、縮んだおかげでポッカリと空いた所に、ささやかな思い出ができます。・・・やあ、コンチ」
とにこやかに笑って、丸子が手の平をこちらに向けて挨拶した。
「隕石が浮かんでいるわよ」
と丸子が笑った。教会の決まり文句だ。
「我々も浮かんでいるのだ」
とジュカンが言って、それっきり黙りこんだ。
「なにそれ。それよりも大変よ。・・・なにがって、あれよあれ。白い男が黒い男を捕まえようとしたんだって」
「ああ、さっき新聞で読んだよ」
「ち、違うのよ!この店で!白い男がこの店に来て、黒い男を見つけてはじまったのよ。すごいの。何人もまきぞえくらってやられたんだよ。そしたら黒い男はそこを虚無にして逃げたの」
「へえ」
「すごいことになっているのよ!この店は一部分ですんだんだけど、ここいら一帯が虚無であふれかえっているのよ!ものすごい決闘がここで起きたのよ」
そうか。だからこの店に入った時、変な感じがしたのか。
「黒い男は捕まったの?」
と僕が聞いた。
「白い男は、黒い男の生みだす虚無にも負けずに追いつめていったらしいわよ」
「今、どこにいるんだ?」
「それは知らないけど・・・。まだ追っているみたいね」
「じゃあ、また逃げられるかもしれないのか・・・」
その時マティが戻ってきた。
「よお、なにやってんの?」
マティは丸子の肩に手をかけた。マティを見た丸子は
「ひぃっ!」
と声をあげて一目散に店の外へ逃げていった。
「なに、あの女・・・」
「おいマティ。ここに黒い男が来たんだって」
「むむ・・・そんなことよりあっちのカウンターに行って酒でも飲もうぜ。ほら、来いよ」
「おい、引っぱるなよ。じゃあ、ジュカン。話は終わったのか?」
「・・・・・・」
ジュカンは無言で前を無表情に見つづけていた。
「今度、もう一回話そうよ。話が難しすぎる」
「・・・ここは我々の店だ。君は壊れかけている。世界は君が動くたびにネジが一つずつこぼれ落ちる」
「・・・え?」
「せいぜい楽しみたまえ」
「おい、行くぞ」
マティが僕を引っぱっていく。ジュカンは完全に静止しつづけた。
「話がついたぜ。象石酒を出さないことになった。これでKから謝礼が出る。・・・よゆうだぜ。だから、おまえにも酒をおごってやるよ。おい・・・おーい」
マティは手をあげて店員を呼ぼうとしたが、誰もやってこなかった。店の中には店員が1人もいなかった。店員全員が事務所に入っていって、出てきた者はマティ1人だ。
「そうだよな。来るはずがないんだよな。へっへっへっ・・・。しょうがない。場所を変えて飲みなおすか」
「マティ、なんだか店の様子が変だぜ」
「・・・ちょっと待ってろ」
マティが立ち上がって、厨房に向かった。店の中は混乱してきた。客が自由に厨房に出入りして、酒を飲んだり料理を食べたりしはじめていた。光の洪水が店内にうごめく人々を照らしていた。厨房には料理が無限にあるようだった。豪華な料理をたくさんの人がむさぼりあっていた。まだ調理されていない牛や豚やニワトリやカモが店内に入ってきて、唸り声を上げながら床に散らばった残飯をあさっていた。厨房からゴキブリの大群がゾロゾロとわき出てきた。巨大なゴキブリたちは、僕の目の前のカウンターを走り、残飯に群がっていく。
「ほら、ウォッカのストレートだ。・・・よゆうだぜ」
マティが酒瓶をつかんで戻ってきた。
「部室にあるノートを見たことあるか?αケンタウルス星人の目的ってなんなのか全然理解できないんだ」
「いや、おれは読んだことないけどね。でも知ってることは知ってるよ。おれ、仕事でいろいろ見て回ってるから。αケンタウルス星人なんか全然気にしなくていいぜ。だってあいつら、だめだもん。あいつらだめだね。目的がなくてもそこにいつづけるやつなんてどこにでもいるだろ?あいつらもそうなんだよ。あいつらだけじゃない。ヘビ使い座系民だってそうだよ」
「・・・ヘビ使い座系民?」
「ああ。あいつらだって似たようなもんだよ。シリウス星人だってマゼラン星雲人だってそうだぜ」
「シリウス星人?マゼラン星雲人?」
「ああ。みんな雑魚どもばかりだぜそう言っているおれが1番雑魚なんじゃないかっていう話もあるけどな」
「・・・またこんがらがってきたよ。じゃあ、ほとんど意味はないんだな?αケンタウルス星人なんて」
「そうだよ。・・・おまえ、サイがどこに消えたか知りたいか?」
「・・・知ってるのか?」
「いや、知らない」
「・・・つまんねえ」
「いやいやいや。・・・おまえがやばい状態なのは、みんなが知ってるよ。おれも心配してるんだぜ。ほら、これ見ろよ。ビッグヘッドの論文の生原稿だ。教授室から盗んできた」
マティはくしゃくしゃになった紙きれを僕に渡した。

こう仮定してみるといい。つまり、私たちは存在物としては存在していないように思える。全てが仮想的に成立してあるだけであって、実体は何もないのではないか。たとえば私が君を見たとしよう。君の顔を見て、君が目の前にいると私が判断したとしよう。でも、もしかしたら、本物以上にリアルな映像を私が見ているだけなのかもしれない。つまり、私は本物ではない君を見ているのかもしれない。そして君自身も、本物ではない私を見ているのだ

「世の中を見せかけのものだと感じる精神状態か・・・」
僕はくしゃくしゃの紙を再びくしゃくしゃにしてマティに渡した。
「でもそれは、逃避的衝動であって、世の中でうまく行かない人間が陥るものじゃないのか?僕はそんなふうになりたくない。僕は現状を変えていきたいよ」
マティはフンと鼻で笑った。
「世界を救うんだっていう気分か?」
「ちがう。もっと身近なことだよ」
「世の中はリアルだよ。おれは知ってるよ。おれだって世の中全体を夢だって考えてないよ。変えようのない確かな感じを世の中に対して感じることもある。だけどその中で生きているおれたちってなんだ?おれたちはずうっと長い、無限の夢の中を生きつづけているんじゃないか」
「なに言ってるんだかよく分からない」
「おれにも意味がわからないんだけどね。ビッグヘッドの言っていることをそのまま言ってみただけだから。おまえもちゃんと出席してみろよ。もうすぐテストだから。だから、ビッグヘッドに言わせれば、幻想なんだよ。はじめから。はじめからここにはいないのかもよ。おまえもだ。おれ知ってるよ。誰もここにはいないんだよ。持ち主のいない夢の中におれ達はいるってことだ」
マティは話をやめて、グイッと酒を飲んだ。2人とも黙った。理解不能な複雑な気持ち悪さを僕は感じた。ここは夢の中だけど、その夢を見ている持ち主がどこかに消えてしまったのか?よく分からない。まるで分からない。
「αケンタウルス星人が夢を変化させたのか?」
と、しばらくして僕が言った。
「そうかもな。おまえだけが彼女を知っている。おまえの想像力を試してみろよ。いるのかいないのか。もう一度考えてみろよ」
「・・・・・・・・・」
「まあ、あんまり考えすぎるなよ。どうにかなるだろ」
「・・・どうにもならないから、困っているんだよ」
「大丈夫。おれは、おまえに、すごく期待しているよ。おまえならなんとかやっていけるだろ。大丈夫。どうにでもなるよ」
「絶対に、彼女はいるんだよ」
僕はうなだれた。涙が出てきた。マティは何も言わなかった。

まだ店内は混乱していた。誰も食べるのをやめようとしなかった。床やテーブルに、料理が何重にもグチャグチャに重なって、その料理の山に人々や動物が顔を埋めていた。音楽は止まっていた。人々や動物や食べ残しの料理から、猛烈な悪臭が噴きでていた。治安を守るため、白い男の手下の白い影たちがどんどん店内に入ってきた。彼らは、この混乱を収めようと奮闘したが、逆に返り討ちにあって客にどんどん食べられていった。
「そろそろ出るか。・・・おい、床がすべるから気をつけろよ」
僕たちはマーパラを出た。店内とは変わって、外は普段と変わりなかった。
「この店も終わったな」
とマティが言った。看板は今もピカピカ光りつづけて客を呼んでた。

その時、閃光が走った。ぱぱぱぱぱぱぱ!
「ふせろ!」
マティが僕の頭を地面にたたきつけた。ぱぱぱぱぱ!また閃光だ!撃たれている!僕の周りが煙に包まれた。
「こっちだ!」
マティに腕を引っぱられながら僕は走った。ぱぱぱぱぱぱ!僕たちは建物の影に飛びこんだ。ぱぱぱぱぱ!
「マティ!どこだ!暗くて見えない!」
「ばか、大声出すな、狙われるぞ」
「もしかして、あれって銃?」
「知らねえよ。とにかくやばそうだ。・・・よし」
僕の襟首をつかみながらマティがダッシュした。ぱぱぱぱぱ!路地に飛びこみ、古代建築群のごちゃごちゃした道を走る。崩れかけたブロック塀を飛びこえ、左に曲がって腐りかけた生ゴミの中をつっぱしった。狭い穴を抜けて、崩れ落ちそうな橋を駆けぬけた。路地に吊るされた洗濯物やバケツやロープをかいくぐった。テントが密集した地域をすべりぬけた。絶壁のような階段をかけのぼった。踏みならされて金属のようになった道を踊り逃げた。マティと僕はこの辺りの迷路のような地理を熟知していた。でも、向こうはそれ以上にこの場所を知っているようだ。どこまで走っても振りきれない。ぱぱぱぱぱぱぱ!弾丸が弾け飛んで、通路の壁を粉々にした。ホコリが僕たちを包みこんだ。
「グボォッ!しつこいな!」
マティが咳きこんだ。
「こっちだ、マティ!」
僕たちは地下道に降りて下水道のような配管の中を通り、地上に出て走りつづけた。疲れて思うように足が動かない。彼らはどこまでも追いかけてきた。少しでも気を抜いたとたんに撃ち殺されてしまいそうだ。突然、急な坂道が目の前に現われた。ものすごい下り坂だ。はるか向こうに大学の校舎が見える。
「ここを降りれば中央広場だ!」
「よし!」
全速力で下り坂を駆け降りた。
「うわっ!」
僕の足が砂利ですべった。体がものすごい勢いでゴロゴロ転がった。僕はすべり落ちながら、なんとか体を止まらせた。でも、もう立ち上がれそうになかった。
「やばい!」
ぱぱぱぱぱ!はじけ飛ぶ火の玉の嵐が、またもや僕とマティを襲った。
「マティ!だめだ!その先は行き止まりだ!止まれ!右だ!・・・・・・あっ!」

轟音。地面がなくなった。浮き上がる体を僕は感じた。周りの世界を感じることを、僕の頭が拒否した。

・・・・・・・・・飛行する夢。目の前にサイの部屋が見える。このままもう少し飛べば、そこまでたどり着けそうだ。空が見える。踏み切りの音が聞こえる。電車の音が聞こえる。音が消える。チョコレートの匂いがする。風になびいたカーテンの流れに包みこまれる。ない。なにもない。僕の周りには何もない。どこに向かって飛ぶ?全身が開放される。空に向かって。高すぎることはないし低すぎることもない。緊張することもないしガタガタ震えることもない。飛んだことのない者に、この気持ちが分かるはずもない。それは僕たちには精一杯の選択だったのだ・・・・・・。

飛行する夢が僕の頭の中を通りぬけて、僕の脳みそのカケラをいくつか奪いさった。その夢のせいで頭が割れるように痛かった。
「痛い・・・」
「気がついたか?」
「・・・ここはどこ?」
僕は目を開けた。
「静かにしろ。やつらが来る」
どうやら、建物にできた洞窟の中に僕は横たわっているようだ。すぐ外に、さっきまで僕が倒れていた坂道があった。何十人もの黒い人影が、僕のすぐ横を通り過ぎていく。すぐそばにいるはずなのに、なんで僕たちの存在に気づかないのか不思議だった。
「・・・この辺りにいるはずだが・・・」
「・・・追いこんだはずだ・・・」
「・・・321教室へ向かえ・・・」
じゃりじゃりと地面を踏みしめながら彼らが通り過ぎていく。しばらくすると、彼らの足音が聞こえなくなった。静まりかえった。廃墟のようないつもの雰囲気に戻った。
「逃げ切れないはずだぜ。集団で待ちぶせてたのかよ。あいつら、どこかで見たことないか?」
「え?」
「あいつら、大学当局の連中だ」
「大学当局?なんで僕たちが狙われるの?」
「さあねえ・・・心当たりが多すぎる」
「もしかして僕を狙ったのかも」
「わかんねえ・・・。じゃ、出るか。ポテンシャさん、ありがとう」
洞窟の暗がりの向こうから、
「・・・プ・・・プッ・・・プツプツ・・・・・・」
と肌寒い返事が返ってきた。道に出てみると、外からは洞窟が全然見えなかった。ただのコンクリートの壁にしか見えなかった。
「あれ。あの穴はどこにいったの?」
「ああ。ほら。あそこだ」
マティが指さした所には「狼少女」というラクガキしか見えなかった。
「・・・恋人は狼少女」
「なに、わけわかんないこと言ってんだよ・・・・・・行こうぜ」
僕たちは中央広場まで来た。僕の額から血が流れていた。左足に激痛が走る。体の震えが止まらなかった。だけど、どうやら助かったようだ。僕たちはベンチに座った。ロックバンドがいつものように演奏していた。僕たちは座りつづけた。
「世界はおわぁぁるぅぅぅぅ。世界がきえぇぇるぅぅぅぅ・・・」
「生きてる?」
とマティが聞いた。
「ああ・・・生きてる?」
「うん・・・生きてる?」
「うん・・・生きてる?」
「・・・生きてる」
パシッ!マティが僕の頭をすばやくたたいた。ゴキッ!僕はマティの頭を思いっきりたたいた。突然マティがゲラゲラ笑いはじめた。それにつられて僕も笑った。壮絶なまでに2人とも笑い転げた。


プロローグ「ワーカーホリックの閻魔大王」
第1章「狼少女」
第2章「安藤教授」
第3章「隕石」
第4章「白い男」
第5章「ジュカン」
第6章「ドライブ」
第7章「マーパラ」
第8章「ビッグへッド」
第9章「黒い男」
第10章「会議」
第11章「4次元パースペクティブ」

エピローグ「最新の建築デザインの校舎」


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