第4章
「白い男」


言いたいことがあるならさっさと言えよ。やりたいことがあるならさっさとやれよ。地面は斜めに傾いてないぜ。正面向かって立ってみろよ。戦う気がないならさっさと逃げろ。同情しないで立ち止まるなよ。地球の重力はうつむいてるぜ。ふらふらしないでしっかり立てよ。目を見ろよ。おまえらは虫か?明るさにおびき寄せられたのか?それとも野菜か?食い物にされに来たのか?そこら中を歩き回り、ドブネズミが邪魔をする。高速で家に帰る?何をしに?おもしろかったかい。なにか変わったことはあったかい。別に。いつもどおりだよ。ブィィィィィィィィィィィィン!おれはまだいるずっとここにいる。タクシーが列をなすスポーツ新聞が落ちている。ここは観光地じゃないぜ。はっきり言っていいことねえぜ。虫でもないし野菜でもない。シャッターが閉じる。動物が動きだす。さようなら。そこにいた人たち。おれはここで寝る。   H

造られて二百年になるという、重たい講堂のドアを開けて、僕はKの店へ入った。そこの長いテーブルの端には、いつものようにサリィが腰かけていて、足を組んで爪をいじくっていた。サリィはこの大学で一番長いしっぽを持った女性だ。サイの思い出話ができる唯一の人間でもある。僕は雨やほこりにまみれて重くなったコートを着たままサリィの隣に座った。
「くたびれた。最近やたら疲れるね。体の穴の中から空気が抜け出てくるのを感じる。どうしようもないね」
「穴なんてあいてないわ」
「コートじゃないよ。心の問題」
「大丈夫。そんな年じゃないでしょ?」
サリィは三日月の微笑を浮かべた。
「最近どう?」
「ああ。頭の中で浮かんだ事件を片っ端から解決してる。どんどん近づいてきているように思えるね」
「それは良かったわ。そう・・・白い男があなたを呼んでたわ。いつもの店で」
僕が何か言おうとすると、マスターが現れた。
「きゅきゅくるる。しゅう」
とマスターは自慢のしっぽを左右に揺らした。
「ああ。いつものやつをください。あれ?Kはいないの?」
「きゅるるん。しゅしゅ」
「・・・ふーん。そうなんだ」
注文を取りおえたマスターは転がって暗闇に消えた。今、店を仕切っているのはマスターでなくKだった。最初はバイトの見習でしかなかったKは、徐々に頭角をあらわしていった。Kの一番の成功は、何と言っても隕石のかけらで作られた「象石酒」だった。数万年前から火星で浮かんでいた珍しい物質がキラキラ浮かんでいた。隠し味に放射能物質と環境ホルモン。これを店のオリジナルカクテルとして売り出したKは、見る見るうちに常連客をつかんだ。僕の周りは暗闇で、何も見えないし何も聞こえないが、香油の入ったグラスの揺れる明かりを見ると、数十人の客がいるのは確かだ。大学新聞がテーブルに置かれていて「大怪獣、大学に現る」と見出しがおどっている。
「象石酒の重みを推し測る時、それは生の重みを推し量るのと似ている」
サリィのしっぽが優雅にゆれているのを見つめながら、僕はグラスを飲み干した。
「白い男・・・あまり会いたくないな」
僕はサリィの黒いショートカットの横顔を眺めながら、うだうだ酒を飲みつづけたかった。サリィは三日月型の微笑をやめた。
「会いなさいよ。・・・もし行くのであれば、きっとその道は開けるでしょう」
「でも何の意味があるのかな」
「白い男は黒い男を追いつづけている。大学怪獣と同じように、黒い男は単なる伝説なのかもしれないわ。はっきりと見た人は誰もいない。少なくとも白い男が何かを追っているのは確かよね。その、追われているものの総体を指して「黒い男」と呼んでいるのかもしれない。私のデータベースの全ての情報を参照しても、黒い男が薄暗い存在であることに間違いない。そして黒い男を追うという意味で、あなたも同じ」
「僕は黒い男なんて興味ないよ」
「でも、もしサイを消したのが、黒い男だったら?」
「・・・分からない。はっきりしない」
「プシュルプシュルルル」
テーブルの近くを通ったマスターが僕に言葉をかけた。なるほど。それはもっともらしいことだった。無防備に白い男の所へ行くのは気が引ける。白い男は、この大学の権力中枢と密接に関わっていて、警察の役割を1人で果たしている。警察組織の人間として、僕は何度か彼の仕事を手伝ったことがあった。彼には逮捕できる権利があり、その権限は彼自身にも分からないほど無限なのだ。白い男が僕を呼んでいるというなら、行かなければならない。いつしか心の中の泥沼に入りこんで、じっとテーブルを見ている自分に気づいた。
「どこへ行ったんだろう。彼女は消えたのか?・・・僕は一体、何を失ったんだろう・・・」
「たぶん、あなたの半分・・・それ以上かも。・・・どちらにしたって取り戻すことが必要なのよ」
「そうだ・・・今の僕にとって」
でも、取り戻す?どうやって?サイはもともと僕でも僕の一部でもない。黒い男を捕まえたからといって、サイが戻ってくるのだろうか。方法は別にあるはずだ。

白い男は、通説では大学の18号館、通称「白い館」の最上階にいるとされている。でもそこにいるのは「ニセ白」で、本物は隕石広場にいるのだ。外に出て、僕は隕石広場に行こうとした。だけど考え直して哲学研究会に行くことにした。地下室の空気はいつものように重たい。
「幻覚は、キノコだ!キノコは、現実だ!」
叫び声がうるさい。となりの幻覚研究会がマッシュルームキノコを焼いているようで、匂いが充満してまっすぐに歩きにくい。ゆがんだ重たいドアを開けて部室に入る。乱雑に散らばったゴミを蹴とばしながら、部室の中央にある大きな机の前で足を止める。本やガラクタの上に、青い表紙の部室ノートが置いてあった。
「ふぅ!」
僕がノートを開けようとすると、バタンと大きな音がした。ドアから小田が入ってきた。哲学研究会のメンバーだ。
「な、なんなのぉ〜!どうしちゃったのよ?ああ〜!」
小田はかなり錯乱しているようだ。壁にもたれてガタガタ震えている。あいかわらずおしゃれなかっこうだが、いつもの香水の匂いが全然しない。
「きゃ!近寄らないで!」
「お、おい、大丈夫か」
「ちょっと!ねえ、あんたどうして平気なのよ!そんな変なコート着ちゃってどうしちゃったの?」
「え。何が」
「変な世界に来ちゃったの!」
「ああ・・・。そういうことか。分かるよ。たしかに時々、僕もそう思うよ。うん。変な世界だね・・・・・・」
「あ、あなたも、ちょっと変よ」
小田はふらふらと出ていった。もう二度と会えないような気がした。僕はガタガタする古い椅子に腰をおろしてノートを開いた。

世界を流動化させようとする、αケンタウルス星人達の計画は、完全に成功したと言える。このままの状態が続けば、おそらく世界の構成要素はバラバラの個人と個人の関係でしかなくなってしまうであろう。個人も「分裂した個人」を抱えこんだ存在になってしまうに違いない。彼らの目的は何か。それは彼らの生存環境は、世界が分裂すればするほど良好なものになるという理由による。だが反対に今までの存在者は、このまま世界の分裂が進行すれば、生存環境がどんどん劣悪化していくのである。sai

サイが消える前、僕にノートを読めと言っていた。その記述がこれだ。この文章は、小説でもあるし正確な情報であるともいえる。僕はαケンタウルス星人には一度も会ったことがなかった。さらにノートには、次の記述がある。
 
彼らはこの世界に確固たる存在を記すつもりであることに疑いはないであろう。議会の参加が狙いなのである。

この記述は、次に部室に来た時にあったものだ。サインがないからサイのものかは分からない。筆跡もサイに似ているような気もするし似てないような気もする。誰かが冗談半分でサイの筆跡をまねて書いたのかもしれない。さらに文章が、その下に書かれていた。

白い男からの要求は、断った方がいい。sai

はじめて見る書きこみだった。サイは消えたはずだ。誰が書いたのか?何の意味があるのだろうか?僕は部室を出た。遠くで隕石が発光している。ボゥッとした光が、周りの人々をとけこませ、にじませていた。隕石広場では、いろいろな商店やらサーカスやらカジノやらが、隕石の周りを囲んでいた。僕は隕石博物館や隕石遊園地や隕石教会の前を通りすぎて、隕石ファンシーショップの前で立ち止まった。ここは白い男が一般学生になりすまして経営している店だ。店の中にはいろいろな隕石グッズがあって、値札をつけられて棚や壁や天井に敷きつめられていた。隕石チョコ、隕石キャンディ、隕石キーホルダー、隕石ペナント、隕石ポスター、隕石カレンダー、隕石パソコン、隕石記念切手、隕石絵はがき、隕石まんじゅう、隕石せんべい、銘酒隕石、隕石のぬいぐるみ、いんせきくん人形、隕石ペーパー、隕石ボールペン、匂いつき隕石消しゴム、隕石テレホンカード、隕石ジュース、隕石香水、隕石大百科、などが何種類も並んでいる。隕石香水の匂いが漂っている。BGMはなぜか大学の校歌だ。極彩色できらびやかな店内の、その奥のレジの、その後ろに白い男が座っていた。なんとなく、白い男自身もこの店で売られている商品に見えたが、値札はついていないようだった。かすかに存在していた。無表情で、何の印象も残さない普通の顔だちだった。真っ白なスーツが真っ白な存在をさらに真っ白にさせていた。

「僕を呼んだと聞きましたが」
「・・・ああ、そうそう。・・・君が・・・」
白い男はそう言って、けだるそうに奥の部屋へ消えていった。僕はその後を追った。白い男は力なく白い椅子に足を組んで座っていて、腕を組みながら小指であごをいじくっていた。
「君が追っているのは、私ではないかね」
「違います」
「君は、何を追っているのかね?」
「・・・」
「目的は、なんだ」
「・・・」
「まあいい」
白い男は組んだ指の上にあごを乗せた。
「君の話に合わせる必要もない。どうだ?私と手を組まないか?」
「・・・手を組む?」
「そう」
協力者として、白い男は僕を選んだようだ。過去に、何回かこういう話はあった。共通の敵を追うには、その方が都合がいいのだ。だが今回は、敵が見えない。
「嫌です」
「つまらない答えだな。私は白い男と呼ばれている。なぜだか分かるか?黒い男のせいだよ。彼の正体は私でさえ見たことがない。私は、彼を追っている。大学当局からの命令なのだ。彼はこの大学を犯罪の都に変えようとしている。君は危険な状態にいるのだよ」
「危険ですか?」
「とてつもなく危険だ!今まで、君のことを仲間だと思っていたよ。なぜ君は、今回、私の誘いを断るのかね?」
「こっちが黒い男を追っていないからです。僕がなぜ探す必要があるんですか?大学当局から何も言われてないのに」
白い男は、肩をすくめて目を伏せた。
「そうだな。君は追っていない。君は命令されていない。では、君は何を追っているのだ?」
「影・・・」
BGMがいつの間にか止んでいた。
「そこはかとない。風が来たら消えてしまいそうな、僕の元から去っていった、実体がなくてそれでいてそこにあるもの」
「ふむ」
白い男は背もたれにもたれた。
「不思議だな。私も時々、自分の追っているものがそんなふうに思えることがある」
無言で宙を見つめて、白い男は考え込んだ。考えぬき、さらに考え、考えに考えすぎた人間だけが持つ表情を作っていた。とてつもなく深い思考の極限に埋まっていた。そして突然スイッチが入ったように、口を開いた。
「さてどうしようか。私の言うことを聞けないとすれば」
「あなたは立場上、普通の学生では手に入らない情報を持っている。それを教えてくれるなら、協力してもいいですよ」
「情報?たとえば?何を知りたい」
「大学当局の情報」
「それ以外には」
「αケンタウルス星人に会いたい」
「αケンタウルス星人はどこにでもいる」
「じゃあ、大学構内の正確な地図」
「そんなものはない。君だって知っているだろう。ビッグバン以降、大学は拡大しているのだ。物理学の教授が作成しているが、まだ理論の段階だ」
「それじゃあ、議会について何か知っていますか?」
「・・・」
「何も答える気がないのか」
「そんなことはないよ。君が行方不明の学生を探していることは調べがついている。こちらでも、隕石事件の直後に大量の行方不明者が続出した事件について調査している。むろん有力な情報もいくつかある。・・・君の返答次第だ。私と協力して黒い男を探そうではないか」
「その意味は?どう協力すればいいんです?」
「君は私のパートナーとなる。君のこれからの行動は、私の指示によって決まる」
そうか。白い男は、僕が自由に動き回っているのが嫌なのだ。黒い男を探すためではない。
「どうだ?私と対等の立場を保証しよう。大学内において、君の権限は無限だ」
いや、自分の行動が制約を受ける点で、完全に有限だ。よほどの権威主義者や誇大妄想狂でもない限り、この要求に飛びつく学生はいない。
「情報を少しでも教えてくれるのであれば」
「君の約束が先だ。今から書類を出すからそこにサインするだけでいい」
「情報を、こちらに」
白い男はゆっくりと立ち上がり、テーブルの上に手をついた。
「やれやれ。君はなぜそんなに知りたがっているんだ?私にはさっぱり分からない。分からないか?世界を知れば知るほど、崩壊が早まるんだ。分かっているだろう。世界はやがて消滅する。世界が消滅しなくても、君自身が消滅する」
白い男は無表情に僕を見つめた。一瞬、部屋の中に緊張の嵐が通りすぎた。白い男はすでに僕を追いつめようとしていた。僕が要求に従わない場合どうなるかは、この密室に閉じ込められたことによって想像がついた。部屋にドアが2つある。すぐ後ろのドアを開けようとしたがカギがかかっていた。僕の頭脳は凍りついた。どこにも助けを見出せなかった。失敗だった。白い男はこちらに近づいた。僕はすばやく別のドアを開けた。奇跡的にカギがかかっていなかった。

なぜか荒れはてた風景が目の前にそびえた。ここは以前にも来たことがある場所だった。閻魔大王はまだ書類の山に埋もれて仕事をしていた。
「どこにでもあるんだな」
と僕は閻魔大王に言った。
「ん?なにがだ!あるに決まってんだろ?いつどこでおまえらがここに来るのか分からねえんだ」
「じゃあ、僕は死んだの?」
「ちょっとは考えてみろよ。おまえは生きてもいなければ死んでもいないんだよ!おまえのことなんかおれ知らねえよ。ほんとになんで来るのかねぇ。たぶん書類がどっかまちがって記載されているせいだろうけど、この書類の中をどう探せっていうんだ」
閻魔大王は指を鳴らしてドアを出現させた。
「行けよ。今度来る時までには書類の手違いを直してやるからな。まったく、こいつのせいでまた残業だよ。どこにフレックスタイム制があるんだよ。これで61日間連続・・・」

僕は、空中にいた。有から無へ。不自然な状態が有だ。自然に帰る。有が浮遊する。有が飛んでいる。頂点から底辺へ。無から有へ、そして有から無へとつながる宇宙のプロセスだ。なぜか落ちることができなかった。はじめから僕は浮遊していた。有の上を飛んでいた。なにが自然でなにが不自然か分からなかった。そしてまた僕は、また突然落ちた。

気がつくと僕は店内にいた。たくさんの隕石グッズに囲まれて、自分も商品みたいな気分になった。案の定、値札がついていた。「隕石人間。135円(税別)」・・・・・・ドアを開けると、奥の部屋にはまだ白い男がいた。
「どうしたんだ。また戻ってきたのかね。ひょっとして、気が変わったのか?」
僕は顔をしかめた。
「・・・よかろう」
白い男はつぶやいた。
「だが・・・いや・・・よそう。君は単なるろくでなしの学生なのかもしれないが、とても面白い。そう、面白い。・・・はは。ハハハハハハ」
白い男のうつろで乾いた笑い声が部屋中に響いた。その顔は無表情のままで、ひきつっている。僕の頭の中が壊れそうになった。
「ハハハハハハハハハハハハハハハ・・・ごめん、涙が止まらない。泣けてきた・・・。悲しい。とても悲しい。・・・君、時々、思わないか?本当に、ここはどこなんだろう?時間は目に見えない。時計は時間の存在を示してはいないからね。では、場所は?自分がどこで生きているか分かっている人間が、はたしてどれほどいるのだろう?自分の存在を自分で認めることのできる人間こそが、一番の強者だ。私はそう思うね」
「そう・・・とても強いと思うよ。じゃ、僕は行くよ。好きなようにやらせてもらう。僕は僕の頭の中で浮かんだとおりに動くだけだ」
「うん。そうしたまえ。・・・できればもう会いたくないものだ」
と白い男が言った。たぶん今度会ったらどうなるか、大体想像がついた。白い男は僕を許さないだろう。そして白い男はこれからも黒い男を探しつづけるだろう。永遠に。

僕は外に出た。ここは隕石広場だ。隕石は、暗闇の中で、巨大な姿を青白く浮かび上がらせていた。たくさんの商店が並んでいる。買い物客たちが行ったり来たりをくり返す。みんな楽しそうだ。僕はなんだか不安な気持ちになった。


プロローグ「ワーカーホリックの閻魔大王」
第1章「狼少女」
第2章「安藤教授」
第3章「隕石」
第4章「白い男」
第5章「ジュカン」
第6章「ドライブ」
第7章「マーパラ」
第8章「ビッグへッド」
第9章「黒い男」
第10章「会議」
第11章「4次元パースペクティブ」

エピローグ「最新の建築デザインの校舎」


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