第3章
「隕石」


過去に会った人間に今出会ったら、おれは笑いかけはしないだろう。通りすぎるだけだろう。もしかしたら蹴りをいれるだろう。昔の自分に出会っても、きっと同じことをするだろう。満員電車の地下鉄の階段を、列をなして通りすぎていく人々を見るように、おれは見送るだろう。未来の自分に出会ったとしたら、奴は全てを笑いとばすだろう。   H

僕とKが部室に戻るとサイがマンガを読んでいた。
「おかえり。早かったよね」
「うん。これからどうしようか」
「なにか食いに行こうぜ」
とKが言った。
「どこへ?」
「おれ、バイトしてる店があって、そこ行かないか」
「どこの店?」
「行けば分かるよ」
Kはタバコをもみ消した。僕たちは外に出た。仮装パーティはまだ続いていて、どこのサークルも、新歓の出店を完成させて新入生を待ちかまえている。
「なにか分かったの?」
サイが心配そうに聞いてきた。
「うーん。ほとんど分からなかった。後で話そうよ」
「うん」
サイが顔をしかめた。
「大丈夫?」
「うん。昨日寝てないから調子が悪いの」
「そりゃ大変だ。もう帰ろうか」
「うううん。もうちょっとだけいる・・・」
Kはズンズンと、年代物の校舎をつき進む。
「ああ、あれ」
「え?」
「怪獣がやってくるって書いている」
「・・・ああ。おれもどこかで見たよ」
「ああいうのいやだな。何かの前兆なのよ」
「ただのラクガキだろ?」
「ただのラクガキなら、もっといいこと書けばいいのよ」
「ふーん」
一番古めかしくて威厳にあふれている7号館にKが入っていく。
「ここ、小講堂じゃん」
「ここがおれの店」
「マジ?」
扉には「マスターの店」という看板があった。
「いらっしゃいませ」
と廊下に置かれた胸像が声をかけた。
「ここだよ。わりと有名だろ?」
「こんな店、前からあったのかなあ」
「あはははは。おまえ、あんまりこの講堂を使わないだろ?ここ、深夜営業。昼間は講義に使われて、夜になると店が開く」
店内は夜の暗闇よりもさらに暗く、所々ぼやけた明かりがともっていて、そこがテーブルだった。それぞれのテーブルに魔法のような電気スタンドがある。
「ぷしゅるるぅ!くるくれくりぃ」
と、暗闇から突然現れたのは、等身大のどんぐりのような形をして全身毛むくじゃらの、ぴくぴく動く茶色の物体だった。
「あ、マスター。いつものやつ頼みます」
「しゅっしゅっしゅ、ぶるるるるぅ」
と茶色の物体はおじぎらしきものをしてまた暗闇に消えた。電気スタンドの明かりを浴びたKは、黄色く無言でニヤついている。毛むくじゃらの物体が、チャーハンを持ってまた戻ってきた。
「これ、グレープフルーツ味なんだ」
とKが言った。僕のはコーラ味でサイのは抹茶風味だった。
「昨日あれから家に帰った?」
とサイがKに聞いた。
「いや。閉門時間がすぎていても門が開いていたからそのまま大学にいた」
「じゃあ全然寝てないの?」
「あたりまえじゃないか。まだ一日が始まったばかりじゃん」
狼少女みたいな言い方だった。Kは猛烈な勢いでグレープフルーツ味のチャーハンを喉に流しこんでいる。
「そういえばこの店、今度コンピューターを導入することになって、おれが担当になったよ」
「ああ。おまえ好きだもんな」
「この店にコンピューターなんか必要なの?」
「いや、会計とか顧客データとかホームページとかで使っているよ」
「私、アレ嫌だな。機械だもん」
サイは最新機器を憎む癖がある。レポートもワープロを使ったりしないで手書きで書いている。
「機械じゃないよ。あいつ人間だよ」
とKが言った。
「コンピューターの中は、1と0だけでその中間がないってよく言われるけど、おれには何のことか良く分からないね。無機質?人工的?機械的?血の通ってない?1と0、1と0、1と0の往復だけじゃないんだよ。1と0と1を並べてやれば、その場合、0が中間になるんだよ。もしかしたら人間以上に人間的かもしれないぜ。時系列の中で数字を並べてその中間を出すわけだろ?はじめと終わりがどんな物事にもあるわけで、その間が中間なわけだ。おれたちの人生こそ無機質なんじゃないの?はじめと終わりしかないんじゃないの?生きて、死ぬ。それで終わり。中間のない人生。コンピューターの中こそ最後の楽園なんだぜ。1と0と1と0と1と0と、どんどん数字や文字を打ちこんで命令してやれば、人生が出てくるんだよ。やれば分かる。やれば分かるよ」
「しゅしゅう!ぷりぷりぷり」
と、さっきのどんぐりのの声が聞こえた。
「大変だ」
とKはチャーハンから顔を上げた。
「ど、どうしたの?」
とサイが眉を上げた。
「もうすぐ隕石が落ちてくるってニュースでやってたらしい」
「ぷしゅるるぅ。ぶしゅう」
「巨大な隕石だって。もしそいつが本当に地上に落ちてきたら大変なことになるぞ!」
「本当かよ」
と僕が言った。直径10キロメートルの隕石がもしも海に落ちると大津波がおこって主要都市は全滅。蒸発した海水が空を覆い、気候が激変し、太陽光線も届かなくなって、人類は滅亡してしまうのだ。一説には恐竜が絶滅したのも隕石のせいらしい。でも最近の研究では、恐竜は滅亡したのではないそうだ。進化の結果、鳥類となって大空へ羽ばたいていったらしく、今も駅前や公園にいる鳩が、僕たちの頭上を悩ませている。
「よし、見に行こう!」
勢いよくKが立ち上がって、テーブルがガタガタ揺れた。
「それよりも、逃げましょうよ」
とサイが小さく言った。

そう。たしかに地上は大混乱だった。だれもがみんな、空の赤々と燃える一点を眺めていた。そしてその一点は、みるみるうちに大きくなっていくのだ。もう空に浮かぶどの月よりも大きい。あちこちでどよめきと悲鳴が聞こえた。
「世界の終わりだ!」
と誰かが叫んだ。
「う、うわ・・・。すごい」
とサイが僕の腕を持って震えた。僕は声が出なかった。
「ウワァオウ!」
Kがピョンピョン跳びはねながら叫んだ。明らかに彼は興奮している。気がつくと隕石は、とてつもない大きさになっていた。ジェット機が飛ぶような音が聞こえはじめた。
「うっわー。落ちてくる!」
「ぶつかるぞ!ぶつかるぞ!」
「当たる当たる!」
「落ちてくる!」
「逃げろ!」
誰かが走りだした。周りに伝染して群集が走りはじめた。地面が揺れて、重力がなくなった。なにも聞こえないくらい、音が大きくなっていった。僕とKとサイは、道ばたで立ちつくしていた。僕はすぐにこの場から逃げだしたかった。どうもあれは、僕めがけて飛んでくるように思えるのだ!逃げまどわないくらい僕の頭は理性的だった。逃げる場所はないと分かっていた。そしてサイの腕が重りのように僕を立ち止まらせていた。突然、周りの空気が吸えなくなった。景色が青白くなり、強烈な閃光が走った。何も見えなくなった。とてつもない轟音が炸裂した。・・・やがて、意識が遠のいて、そのまま静かになった。気がつくと、みんな倒れていた。・・・落ちたのだ。この大学に。いや、落ちなかったとも言える。たった今、大学の中央広場の向こうにある、正門から入ってすぐの広場に隕石が落ちた。・・・そして隕石は地上2メートルの所で静止した。それは直径50メートルはあろうかと思われる(後で測った所によると35メートルだったそうだ)巨大な球だった。光っているようにも見えたし光っていないようにも見えた。銀でもあって金でも青でも赤でもあり、無色でもあった。透明でもあった。落下地点にいた人々は、しばらく呆然と立ちつくしていただけだったという。空間のスペースが失われたという以外には、何の被害もなかった。
「おい、さっきのあれ、あんなに小さかったか?」
とKが言った。
「きっと大気圏に入ってから縮んだんだろ」
と僕は答えた。そして隕石は、それからずっと、そこにいつづけた・・・。

「Kは昨日とはずいぶん変わったわ。・・・なんだか前より元気になったみたい」
「そうだね」
「前?あれ?いつのことだったかしら。・・・全然分からない」
サイが立ち止まった。
「おれ、仕事しに行くよ」
Kが7号館に入っていった。振りむくとサイは走り出していた。
「おい!ちょっと待てよ!」
「一体どうなっちゃったのよ!消えてく、消えてくの!」
人ごみをかき分けながら、猛烈にサイはわめいていた。
「回りの物がなくなっていく!落ちる!落ちる!」
「待て!ま、まあ、落ちつけよ・・・」
「飛んでる羽毛をつかもうとするみたいに、ヒュッヒュッヒュッて消えちゃうのよぉ」
「落ち着いて!一緒に考えよう!とにかく、この状況になったきっかけを思い出してみよう。おれは、歯医者に行ってから、世界が変わった気がする。そこであの日の名前が出てきた」
「・・・恋人は狼少女?」
「そう!恋人は狼少女!君に恋人は狼少女を知らせたのは誰なんだ?」
「αケンタウルス星人よ」
「え?」
「αケンタウルス星人」
「宇宙人か?」
「αケンタウルス星人」
「誰?・・・どこにいるんだ?」
「彼らはどこにでもいるわ」
「じゃあ、たとえば一体誰なんだ?この中にいるなら教えてくれよ!」
バスツアーで回っているコロボックルの団体観光客、ユニコーンに運ばれる瀕死の兵士、分厚いページの法令集を片手にひたすら暗記を繰り返している国家一種の受験生の集団を、僕は腕を振りながら指さした。僕は震えるサイの周りをぐるぐる回った。
「見た目では分からないわ。ねえ。それより大事な話があるから聞いてくれる?・・・もうすぐ私たち、会えなくなるわ」
「えっ・・・どうして?」
「私、あのサークルを辞めるの。それだけじゃなくてこの大学も辞めるの。それだけじゃなくて、私の影がどんどん薄くなっているの。どんどん私の細胞が消えていくの。だんだん頭の中が・・・空っぽになって・・・話ができなくなって・・・こ、言葉がなくなっていく・・・」
サイはとても苦しそうに見えた。顔色が真っ青になって膝がガクッと曲がり、僕はあわててサイをかかえ上げた。
「・・・しばらく、ここで休もう」
僕はサイを中央広場のベンチに腰かけさせた。
「ふぅ・・・。詳しいことは部室のノートに書いたの。とにかく私がいつ消えてしまうか分からないから。私の友達にサリィという子がいるから、いい?彼女に会うのよ」
「い、一体、何事が起きたんだよ!さっきまで普通だったじゃないか!」
サイは弱々しく笑った。
「人は生きていてそれぞれ役目があるわ。あなたにも役目がある。私に与えられたのは、完全なる情報の提供役。だから彼らには私が邪魔なのよ。ほかの提供役もどんどん消されていったわ。後に残されたのは、正確な情報を持たない人たちばかり。自分の信じるものが他人とは全然違っていて、みんな自分の殻に閉じこもるばかり。ウゥッ!」
コホコホとサイが咳きこんだ。僕は背中をさすってやった。
「・・・ありがとう。大丈夫。そ、そんな簡単に消されたりしないから」
「役目って言ってたけど、僕の役目って何なの?」
「私に言わせる気?冗談でしょ?」
サイはそれを聞いて、苦しさを見せつつもゲラゲラ笑いだした。
「こっちは真面目なんだよ!彼らってなんだい?言ってることがよく分からない!なんで君を消そうとするんだ?」
「世界の混乱・・・そして最後に何をしようとしているのか・・・あっ」
「どうしたの?」
「分からないわ。何も分からない・・・・・・。また、私の頭の中から情報が消えたみたい。・・・・・・・・・ちがう、何も消えてない。元と変わりはないわ」
「君が消えたら僕はどうなる!頼むからしっかりしてくれよ!」
サイは、いかにも僕の目の前から消えていきそうだった。少しずつ、サイの感触がなくなっていった。一生懸命目をこらしても、サイの姿がだんだんおぼろげになっていく。
「ねえ」
「うん?」
「なに、悲しそうな顔してんの?」
「だって、別に喧嘩別れするわけじゃないんだぜ。こういう別れ方って、悲しいじゃないか」
「・・・そうね・・・・・・よぉく自分を考えてみると・・・・・・そう・・・・・・・・・とても、悲しい・・・・・・・・・・・・だけど、やっぱり悲しくない。・・・何が悲しいのかわかんない」
サイは無表情に僕を見つめた。僕は一瞬、今までの白昼夢が消えて本当の自分が戻ったような気がした。
「僕が消させやしないよ」
とかすかにしか感じられなくなったサイの肩を抱きながら言った。それはこの日が始まって最初の決意だった。しかし同時に、本当の自分に戻ったのは本当に本当の自分なのだろうかとも思った。何か言おうとサイが口を開いたが、もはや声が聞こえなくなっていた。とうとう、僕の腕の中でサイが消えた。・・・信じられない。僕は呆然とその場に座りつづけた。

まるで分からない。僕の一日はこうして始まった。


プロローグ「ワーカーホリックの閻魔大王」
第1章「狼少女」
第2章「安藤教授」
第3章「隕石」
第4章「白い男」
第5章「ジュカン」
第6章「ドライブ」
第7章「マーパラ」
第8章「ビッグへッド」
第9章「黒い男」
第10章「会議」
第11章「4次元パースペクティブ」

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