小市民ダークロのありがちで気の抜けた感じのやつ

はかない文学について


「フラッシュ」がフリーでしかも簡単だったら彼らにピッタリだったのにな。他人のホームページの言葉が気に食わない人がいる。たしかに言われてみれば変な言葉が多い。普段読んだり書いたりしない人がたまたまホームページを与えられた感じで、一番簡単な表現手法が文字だという矛盾から来るのだと思う。おれは、そのギクシャクさ加減がおもしろい。突然モノリスが落ちてきた猿みたい。掲示板は猿どものけんかだ。しかし彼らは懸命に文字と戦ってる感じがする。彼らにとっては新発明、新発見かもしれない。そもそも大部分の人が文章なんか読まないし、書かないのだ。ケータイで電話していれば満足だ。愛とか語り合えばいい、死ぬまで、ケンガイになるまで。お互いを理解したと思い込むがいい。会話は秋の虫、夏の蝉のようでいて、はかなげである。はかなげな彼らが打ち出す文章に、魅力を感じないか?文学も世間と遊離して何年か過ぎた。小説家は、文字を書くのに忙しすぎるので、満員電車に乗って9時半に間に合うように走ることはない。小説家は、ただの暇人だ。世間との違和感を最大限に表現すれば、文学だと思っているのではないか。暇人の書く文章に、面白い言葉はない。おれには、会社の愚痴とか会社の昼飯を報告したり、彼氏とのつまらんエッチを報告するページの方が、文学に見える。昔の文字は貴重品だった。文字を書き写すのにも細心の注意を払った。呪文や戒律など、未来を見据えた文章だった。文字はいつまでも残るものなので、大切に書き記さなければいけない伝統が、長く続いた。だが、ホームページはどうだ。私のページは更新しないでおくと、三ヶ月で消えてしまう。はかなげに書く人間は、情報伝達の早さに適した思考回路を持つ。一瞬一瞬が重要なのだ。刺激的にならないはずはない。彼らの日常が、文字を使うことで別の意味をもつ。書物から発せられた文字は反射光で、モニターから発せられた文字は透過光だ。どうだ、輝きが違うだろう?私はその文章をじっと座って黙って読む。