小市民ダークロのありがちで気の抜けた感じのやつ

ハワイアンTSUYA!


幼稚園の時、女子高の学園祭に行った。女子高の付設幼稚園だったのだ。教室に入ると、そこは畑だった。もんぺをはいた生徒たちが迎えてくれた。それでクワを持たされた。茶色く色を塗った新聞紙をクワで掘った。ながほそい風船が出てきた。生徒に教わりながら芋を掘った。色とりどりの風船がきれいだったのと生徒がやさしかったので悪い気分じゃなかった。「何やってるの!」と突然母に怒られた。みんなと同じ事をしろと言っていた。周りを見ると、みんなはそこら中に散らばった風船を持って飛びはねていた。周りのお母さん達も、クワもって新聞紙を掘っているおれを見て面白がっていた。「違うよお母さん。これはこういう遊びなんだよ」と反論したが、あわてるばかりだったので、しょうがなくクワを放り投げ、引き止める生徒から逃げて、みんなと一緒に風船を投げたりしてアホみたいに騒いだ。全然面白くなかった。

その四半世紀後、真夜中におじさんが死んだという電話があった。おれはその時ゲームを作っていて、キャラクターのヒットポイントがフィールド上でゼロになったら処理をどうするか考えていた。ヴァーチャルな死に、リアルな死が入り込んで少し動揺した。おれはあまり親戚づきあいをしていない。結婚式にも一度も呼ばれたことない。忙しかったが、おじさんには何回か会ったことあるので、行くべきだろうと思った。おれは小学生の頃プロゴルファー猿にはまっていたので、ゴルフのまねっこをしていた。おじさんが来た時、おれのスイングを見て、「いいフォームだ」と言ってくれた。「あの人は思ったことをそのまま言う人だから、本当にいいフォームだったんだろうねえ」と両親が言っていた。言いたいことをそのまま言う人だったから、きっと友達もいないのだろう。思い返したら少し親近感が出てきた。

喪服がないので、現地で両親に持ってきてもらうことにした。今思えば、これがいけなかった。自分で買えばよかったのだ。でも金がないし今度使うときは何年後になるかもしれないし、下手するとおれの方が先に死ぬかもしれない。心臓と肺を両方やられている人間が、長く生きられるわけないだろう。かわりに着てきたのがジーパンにバリで買った黄色いアロハシャツ。シャツの下は「1989年は最高の年だった」と英語で書かれたオレンジ色の長袖のシャツ。忙しいとはいえ、これもまずかった。10分前に葬祭場にタクシーで着いた。知っている顔は誰もいなかった。続々と人が入っていくが、おやじ達の姿は見えない。中に入って確かめたいけど、受付の机には20人くらいが待ち構えている。とてもじゃないが、この服装で前を通り抜ける度胸はない。入り口のドアから向こうがかすかに見えるがオヤジが来ているか分からない。さすが親戚。同じ服着て後ろ姿なので見分けがつかない。そもそもオヤジには2年くらいきちんと会っていない。正月に少し会ったけど、あまり顔を見なかった。

それにしてもバリで買ったアロハシャツはかなりまずい。バリに行った後、一緒に行った女に振られた。おれの中では喪服のようなものだが、他人には通用しないだろう。ハワイアンの下には黒いシャツを着ていたので、一瞬喪服みたいでいいかもと思ったが、背中に骸骨が酒飲んでいる絵が描かれていて「飲めや」と書かれてあるので、だめだ。まだハワイアンの方がいい。

しかし、服装が違うからといって、そのまま帰るのもどうかと思った。亡くなったとはいえ、別れの挨拶くらいするべきではないか。なぜ来たか?来る理由があったからだ。その理由は、外見の問題ではない。服はともかく顔が今にも死にそうな顔つきなので大丈夫ではなかろうか。そう自分に言い聞かせた。

こうしてこの場所で、過去一番不釣合いな服装の人間が、親戚の席に座ったのである。おれの家系の宗派は神道の昔の流派だ。神主さんがみんなに葉っぱを渡している。おれは修学旅行に行ってもお祈りしないくらいの無宗派だ。何がなんだかわからない。中は体育館みたいに広い場所だった。中に入って席に座っても、誰が自分の親か分からなかった。白い菊が滝のように流れ落ちるように飾られていて、重低音のスピーカーからは、しゃれた笛の音のBGMが流れていた。おじさんもオレと同じように耳がでかかった。おれの祖母の葬式はおれの家でやったけど、息子は派手だなと思った。おれのいとこは正月にどっかの海岸で初日の出を浴びながら結婚式やってテレビで生放送されてたけど、やはり親族はそれと似たような感覚なのか。祖母の時の方が本物っぽかった。今日は、かなりの人が来ていた。悲しんでくれる人がこんなにいたのならいい人生だったのではないか。おじさんは大戦後に台湾から逃げてきた兄弟の長男だった。祖父はすでに死んでいたから、父のない家庭は大変だった。戦後、祖母がパーマ屋をやってがんばった。

しばらくじっとしていたら、両親が来た。「白いワイシャツは?」「???」「白いワイシャツ着てきなさいって言ったじゃないの」「・・・そんなこと、聞いてないよ。とりあえず来ればよかったんでしょ?」「ワイシャツ持ってこなかったわよ。もう帰りなさい。出て行きなさい!」「服装がなかったみたいですから・・・」と、職員みたいな人がとりなそうとしてくれた。「出ていきなさい」と母にまた言われたので、すぐに席を立った。昔はよく「あんたなんかうちの子じゃない」と追い出されて父が帰ってくるまで庭で泣いていたなあ、小学校の時もよく追い出されたなあ、と不思議に懐かしい気分になった。とりあえずお辞儀をして部屋を出た。謝りでもあるし、別れの挨拶でもある。ある意味全ての親戚筋に別れを告げた気分だ。

「〜はお持ちですか?」と職員の人がおれの前に立ちふさがった。何を持てばいいか全然分からなかった。「よく分からないけど、出て行くだけです」と言いながら強引に出てきた。葬祭場はバイパス沿いにあった。とりあえず手を上げてみたが、東京と違ってタクシーが全然通らなかった。向こうに「紳士服の青山」という看板が見えた。まだ営業しているみたいだ。おれは後ろの入り口を振り返り、看板の方を見た後、駅に向けて歩き始めた。闇雲に歩き回って1時間して駅についた。

で、今、家にいるんだけど、さっき電話がかかってきた。「ちょっと、あれ、どういうこと?」「ワイシャツの話は聞いてないよ」「乞食みたいな格好して。28歳になったんでしょ?」「確かに、ひどい服装だったとは思うよ。忙しすぎて無理があったんだよ。だけど、とりあえず来てみておれなりにお見送りしたんだよ」「もう、恥ずかしいにもほどがあるよ!ジーパンなんかで来るバカがいるかい!」「分かったよ。もう行かないよ。本当に行かなきゃまずい時だけ行ってあげるよ。あなたが死んだ、時にでも」