小市民ダークロのありがちで気の抜けた感じのやつ
|
---|
おれが路地を出ようとすると、ラガマフィンの仲間たちが立ちふさがっていた。向かいあった男たち。5人対1人。・・・互角だな。
「こいよ」 おれはファイティングポーズをとった。ゆっくりと腕を上げて、向こうも身構えた。ある意味、ここで勝とうが負けようが、特に変わりないかもしれない。ていうか、そのへん考えたもんの負けだ。ファイティングポーズをとらないかぎり、消えていくだけだ。本能のようなものだった。囲まれてやられる前に、5人の懐に飛びこむ。2人にコブシをいれたが、お返しにいいケリをもらう。相手はゆっくりとおれを囲む。目の前にいる時はひたすら防御して、おれの後ろを狙える時に牙を剥く。ガツガツと後頭部にコブシが叩きこまれる。脳がグラグラ揺れる。だんだん痛みの感覚がなくなっていく。やわらかくて、やさしげな地面がおれを誘う。そのままどこまでも落ちていきそうになる。でも、頭の中で、なにかが鳴り響いていた。ガンジャといっしょに作った曲だ。アドレナリンに反応して、体がかってに動きだす。リズムをきざんで攻撃をかわす。すばやく動いて連続で叩く。ローブローが相手の内臓に突きささる。吐きだされたうめき声が耳元で聞こえる。よし次の曲だ。血が流れて前が見えない。正面からものすごいタックルをくらって体がフワッと浮きあがった。地面はどこだ?足で地面をつかむ。かろうじて踏みとどまって、組みついている次の曲の後頭部をどこまでも殴りつづける。力が抜けて、ずるりと次の曲が崩れおちていく。一瞬、視界の向こうが不気味にきらめいた。よろめきながら、次の曲が腕を振りおろしてきた。腕の先に光っているのはナイフだった。ザクッ!感触あった。「うぶぅ」ナイフが刺さる寸前、とっさに放った右ストレートが最高のカウンターとなって、こっちのコブシが砕けたような感触といっしょに次の曲が暗闇にふっとんでいった。次の曲から突然、わき腹に蹴りをくらい、反射的に左で返すと次の曲にクリーンヒットした。すぐに次の曲から反撃を食らう。次の曲が猛然とラッシュをかける。コブシをコブシで打ちかえす。「うあああああああ」叫び声が聞こえる。どっちが叫んでいるのか分からない。ノーガードの殴りあい。目の前がグラングラン揺れる。自分が動かしているのが腕なのか頭なのか曲なのか分からなくなってくる。はてしなく動く。ガンジャの曲が頭の中で鳴り響いている。1つの大きなリズムがあって、それがおれを動かしている。気がつくと、お互い倒れていた。泥沼の底のような場所からおれはあわてて立ち上がる。次の曲は起きあがってこなかった。次の曲はどこだ?おれは身構えた。目の前の暗闇に最後の一曲が静かに立っていた。距離をつめていくが、最後の一曲に動きがない。最後の曲は、こっちがさわる前にぶっ倒れた。たぶん立っているだけで精いっぱいだったのだろう。いい夢見ろよ。誰かが店のドアを開けはなったみたいで、近づくにつれてどんどん音が大きくなっていく。ふらふらと歩いていると、向こうからも、同じようにふらふらと歩いてくるやつがいた。外見は、おれにそっくりだ。なにかを持ってる。暗闇に、金属の鈍くて重い光。そいつは拳銃を手にしていた。 「こいよ」 おれはファイティングポーズをとった。ゆっくりと腕を上げて、向こうも銃を身構えた。おれはなぜか勝つ気でいた。よく考えれば当たり前なんだけれど、おれの攻撃よりも早く、向こうは銃を撃った。 ガーン! あ。ヤバイ。と思って動きが止まった。どこか撃たれたのか、かすったのか、外れたのか。こうなったら相打ちだ。右か。左か。どちらならおれのパンチが届くか。おれは踏みこんだ。 ガーン! また銃口が目の前で火を噴いた。あ、ヤバイ。向こうのほうが早い。 「当たらねえんだよな」 向こうのやつはそう言って、今度は銃そのものをおれに投げつけた。 ガーン! 銃はおれの額にクリーンヒット。グラグラ揺れる頭と共に、グルグル腕を回しながら、おれはゆっくりとやつに近づいた。 「ちょっと待って。動くなよ」 相手にもたれかかって、少し休憩。深呼吸して吐き気を抑える。相手はそのまま立ちすくんで待っていた。 「おまえ、おれのこと、忘れたか?」 昔、店にいた、韓国人の名物DJ、ドクターシュリが、おれの目の前にいた。 「おまえ、ドクターシュリだな」 「ドクターシュリだよ」 「マジかよ・・・」 「・・・マジだよ」 「密入国か」 「おまえ、気づかなかっただろ」 「ああ。まさか。戻ってくるとは思わなかった」 「おまえ、ダメだろ。気づかなくちゃ。おれを止めなきゃ」 「ああ?」 「おれが店に入った時、おまえはおれを止めるべきだったんだよ」 「おまえがやったのか。・・・悪い。気づかなかった」 「おれ、人を殺しちゃったよ」 「悪い。止めるべきだった。でも、殺してないぞ。おまえの撃った2人は、まだ生きている」 「死んでないのか?」 「ああ」 「そうか。死んだかと思った。でも、ダメだ」 ドクターシュリは肩を落としてうなだれた。おれはドクターシュリにもたれながら、耳元でささやいた。 「まだ、聞こえてるか?」 「なにが?」 「レコード。おまえ、おまえのレコード、割っちゃったのか、おまえ、割っちゃったのか?」 「割れちまったよ」 「まだ、なんとかならないのか?自首しろよ」 「おれの出番は終わった。もう、味がない。音が出ない」 「音、出せよ。ほら、まだ、出てるよ。聞こえるぜ」 「聞こえない」 「おまえの体だろ?よく聞けよ。ほら・・・」 「・・・・・・」 「・・・まだ割れてねえよ」 「・・・まだ、大丈夫か?・・・聞こえるのか?」 「聞こえるよ。まだ・・・平気だよ」 「そうか」 ドクターシュリが震えていた。おれの首すじに水が流れた。おれはクラクラしてだめだし、シュリの方もなんだか支えがいるようだ。しばらく、お互いがお互いにもたれあっていた。 「シュリ。なあ。音、出せよ」 「・・・出せるか?」 「・・・もっと出せよ」 「出せるか?」 「出せるよ」 「そうか」 ドクターシュリはおれの体を払いのけて、顔をおれの目の前につき出した。 「ちょっとおまえ、音出してくれよ、ぶん殴ってくれよ」 「え?」 「おまえのパンチだったらよ、昔を思い出せるだろ?ここだ。スイッチ。ここがスイッチだから。音が出るから。音が、出るといいよな。今、聞こえてるような感じの音がいいよな。この音だったら、一生割る気になれないよ。おい。殴れよ」 「殴るか」 「殴れ」 「いい音出せよ。踊ってやるよ」 「早くしろよ」 やつがそう言った。おれは大きく振りかぶって、やつの顔面めがけて、最後の力をふりしぼって渾身の右ストレートを放った。 グオキーン! ズブズブと、ドクターシュリが暗闇に沈んでいった。どんどんどんどん沈んで消えていった。もう浮かんできそうになかった。最後に、大きな音が聞こえた。あいつにも聞こえただろうか。しばらく暗闇をフラフラ歩いているとトオルがかけよってきた。 「先輩!・・・ああ!よかった!やられたかと」 「あいつらを、診てやってくれ。やばいやつがいるかも」 トオルが真顔でうなずくと、倒れたやつらの方へ走っていった。そろそろ店に戻ろうかな。ちょっとハードな休憩だったな。 「よう。4回戦ボーイ!」 ドアを開けはなった入口に、オッさんがいた。腕組みをして、満足そうな笑みをこちらに浮かべている。ガンジャの曲が入口から大音量で流れ続けている。 「オッさん、ドアを閉めてくれよ。近所迷惑だよ」 「へっへっへ・・・。応援だよ。どうだ?踊れたか?」 「・・・踊れたんですかね」 オッさんはおれの腕をとり、おれのグローブを外して、グローブをゆっくりとおれの首にかけた。 「フン!マーシーパラダイスだっけ?あの店のオーナーとはよ、何十年も前から知り合いでな。昨日話したんだけどよ、別に、この店をつぶす気はないんだとよ。もっと別の所で儲けているみたいだからな。オーナーじゃなくてよ、店長が勝手にしかけたらしい。あそこの店長はただのトカゲのしっぽみたいなやつだ。なんか問題が起きた時、逮捕されるためにいるだけだからな」 「ああ。どうも」 オッさんに頭を下げたとたんに頭から血がツゥゥゥーッと流れ落ちてクラクラした。 「まるで別人のような動きだったな。おまえの周りよ、なんか、漂っているみたいだったぜ」 「え?見てたの?レゲエ・イコール・ラスタですよ。ラスタのリズムが地球最強だ」 「ふーん。リズムか。パンチはさび付くが、リズムは一生ついてくる。やっかいなもんだぜ」 「リズムがないよりは、ましです。・・・いてえ」 「バーで休んでな。後はおれがなんとかすっから」 オッさんが暗がりへ消えていった。グローブを首にかけながら、おれは店に戻った。カウンターの中に入り、鼻血をぬぐい、バーにふせった。フロアではガンジャがジッポライターの火をともしている。火が浮かび上がる。フロアにいる客も、ライターをつけて高々と火を掲げた。1つ1つの小さな火。無数の灯火がガンジャの周りで揺らめいている。ガンジャはライターをフロアの客に向けて、ライターの火と火を交換しあった。火は火と混ざり合い、大きく揺らめき、さらに明るくフロアを照らした。エレクトキッズがやってきた。 「・・・ビール」 「・・・勝手に持っていってくれ」 エレクトキッズが飛びあがると、バーの中に入って冷蔵庫からビールを2本取り出し栓を抜いて1本をおれに差しだした。一瞬の早業だった。おれは一口飲んだ後、またバーにふせった。 「今日が最高だと思うよ」 「あああ。それより、あんた、プロのダンサーか?」 「あんた、プロのボクサーか?」 おれは答えずに目を閉じた。そのまま、少し眠ってしまった。ふと気づくと、エレクトキッズはまだバーの中にいた。客の注文通りに飲み物を作っている。器用だな。おれより少しうまいんじゃないか? 「・・・おい」 「起きたか?しけた店だな」 「・・・うん?」 「顔が、腫れてきた」 「・・・おう」 「なにか、飲むか」 「マティーニ」 「ちょい待ち。・・・はい。くそマティーニ」 「なんだこれ?梅干しが入っているぞ」 「おまえは知らないかもしれないが、それはオリーブっていうんだよ」 「・・・うまいじゃん」 おれはブクブクうがいして床に吐いた。これで消毒になるかなあ。ジンって、元々は薬草だし。 「ほら、もう一杯。くそマティーニ。今度は味わいなよ」 「うまいな。バーテンやってたの?」 「そんなものやってねえよ。プロのボクサーだよ」 どうやら、なにかしら、意思の疎通ができたらしかった。 息を吸うと、音も吸いこまれていき、口の中で、唾液と共に溶けて。強烈なフレイヴァーがあふれでてくる。いろんな音が溶けて一瞬で広がっていく。とぎれた刺激。かけぬけるリズム。気がつくとフロアになにかが流れはじめていた。浮き上がるような感じ。それが曲だとはとても思えなかった。音以上のものだった。激しい音ではなかった。驚くほどそれは繊細だった。音を敏感に聞きとれば聞きとるほど、音をたくさん聞きこめば聞きこむほど、聴き手の心により大きく響く種類の曲だった。人間が感じる以上の刺激を、その曲は持っているようだった。ジャンルを超え、地域を越えていた。笑い声、泣き声、銃声、爆発。世界中で聞こえる、全ての音を、やさしく包みこんでいた。オッさんがバーに戻ってきた。オッさんは、涙を流していた。 「この曲は・・・ブロークンワードからの曲だ。・・・信じられない。二度と聞けるとは思わなかった」 「じゃあ、本物だったのか。あいつが、リアルガンジャだ」 エレクトキッズがフロアに飛びこんで、きらびやかなダンスを踊りはじめた。そして輝きながら、フロアの中に溶けていった。ガンジャがリズムの種を丁寧に摘み取った。両手いっぱいの種を放り投げた。誘うような甘い匂いを発しながら、きらきらと光りながら、花が咲いた。花が散って、花びらが舞い降りた。舞い降りた花はもう一度芽生えて、地面が花畑になった。いろいろな植物が生えはじめていく。熱帯の空気。小鳥のさえずり。フロアに雨が降りはじめた。地下室に充満した熱気と湿気が、雲を作り、雨を降らせている。虹の中でガンジャがプレイしている。踊りながら時間が消えて、そして踊りながら時間が始まっていく。まるで夢のような空間だ。こういう場所にいたい。ここで踊りたい。その夜は、通りの向こうまで音が鳴り響いていたという。ビル全体が、リズムに合わせてグラグラ揺れていたという。その夜は、晴れだったという。いつもと違った方向に月が見えていたという。東京では、その日の交通事故で3人死んだという。その日はいろいろな記念日や祝日であふれていた。いつものように。 「最後にかけるのは、皆さんが知っているこの曲です」 その瞬間、音が消えた。大音量よりも衝撃の強い無音が鳴り響いた。一瞬、フロアが静まり返る。ガンジャのプレイが終わったのだ。朝がやってきた。 小説「ガンジャ!」
|
|
---|
|
|
---|