小市民ダークロのありがちで気の抜けた感じのやつ

ガンジャ!

第8章
「ブロークンワード」その2

ガンジャはフロアの地面に座っていた。最小限の機材しかなかった。おれと作ったCDに、CDプレーヤーに、5枚の古いレコードに、ターンテーブルに、マイクに、巨大なスピーカーが2つ。まばらな観客の向こうで、例の空から落ちてきた、キラキラ輝くエフェクターの前で、ガンジャがアグラをかいて静かに座っている。なにかが始まる。そんな予感がする。
ブウゥゥゥゥゥウウウウウゥゥゥウゥゥゥゥゥゥゥウウウウウウウン。
無数のスピーカーから音が流れはじめた。フワフワと浮き上がるような感覚。ガンジャの音が壁のデコボコにいろいろと反響した。ガンジャの針がフロアの細かな亀裂、オウトツをなぞっていく。ガンジャシステムは、はじめから必要なかった。ガンジャにとって、フロア全体がひとつのレコードだったのだ。

「店長さん、いらっしゃいませんか?」
男が店に入ってきた。スーツ姿で場違いな感じだ。会社の営業マンみたいだった。見た感じ、悪者じゃなさそうだ。
「なんの用だ?」
「いえ、本日、お会いする予定になっていたものですから」
「トオル、呼んでこい」
「はーい」
事務所から出てきたオババが、にこやかに出迎える。営業マンはペコペコおじぎをする。
「はい。これ」
オババが真っ赤なバラの花を一輪渡した。営業マンは大げさな身ぶりでスーツの胸ポケットにバラをさした。
「あ、いや。ありがとうございます。キレイなバラでございますね」
「わざわざこさせて悪かったね」
「いやー。遅れまして、大変申し訳ございません。いつもの営業時間と違うものですから、どうしても融通が利かなくって、すいません」
「年に一度じゃないか、ちょっと入って」
「はい、失礼します」
オババが営業マンと一緒に事務所に入った。2、3分で、営業マンとオババが事務所から出てきた。
「はい、たしかにお預かりいたしました。ええ、はい、これで全額ご返済という形ですね。これ、粗品ですけど。たまたまあったんで」
営業マンがポケットティッシュをオババに差しだした。
「ありがとね」
「それじゃ、毎度どうも。また、次の機会があれば、ぜひよろしくお願いします」
「ああ、考えとくよ」
「それじゃ、失礼します」
営業マンが去っていった。オババが苦々しげにつぶやいた。
「悪魔が来た!やった。これでもう来ない!10年かかっちまった」
「おおー!」
すぐそばでおとなしくしていたトオルが拍手した。
「どれ、しまっていけ!オラッ!」
カツーン!オババが挨拶代わりにおれの頬を骨ばった拳で殴る。
「あいつが、悪魔だったの?」
「ああ。あいつはとんでもねえ悪魔だった」
「そうは見えねえけどな」
「おう!完済だよ完済」
「え?」
振りむくとオッさんがビールをグビグビしていた。
「借金完済だよ」
「え?」
「10年前に借りた金を返したんだ。悪魔じゃねえよ。サラ金だよ。高利貸し」
「高利貸し?オババ、あの人から、お金借りてたんですか?」
「いや。オッさん、そうじゃあ、ねえよ。あいつは悪魔だったんだよ。アタシは生き返ったんだよ」
「たしかに!10年ローンだったんだもんな!しかも、悪徳業者」
「この10年間は、生きた心地がしなかった。半分死んでいたようなもんだった。今年は大変な年だったよ。でもまあ、なんとかやったんだ。アタシは!」
「いや。まあ。おめでとうございます!」
「ふん!」
オババはしっかりと大地を踏みしめて、ドスンドスンと戻っていく。生き返ったかのようだった。トオルが去っていくオババをじっと見ている。
「・・・オババって、元気ですよね」
「ああ、メチャクチャ元気だな」
「メチャクチャ元気ですよね。あの余命半年って、なんだったんでしょうね。・・・ヒデGって、ヤブ医者ですね」
「ヒデGだもんな」
「あの病気、なんだったんでしょうね」
「医学って、進んでんな〜」
突然、踊っていたトオルの動きが止まった。
「まさか、ガンジャさんの曲のせいじゃないですかね?音楽療法ってやつじゃないですか?」
「まさか。そんなはずねえだろ?」
たくさんの痙攣しつづける手足を持った、タコのような生き物が、フロアに漂っていた。エレクトキッズとヒデGが、体をからませながらうごめいている。2人とも全身に夜光塗料を塗って、光り輝いている。シンクロナイズド・ダンシング。そんな種目があったとしたら、オリンピックを目指せそうだ。いつの間にあんなに仲がよくなったのだろう。そもそもあの2人に会話が発生するのだろうか。言葉すらほとんど出さないのに。フロアではだんだん曲らしきものが漂いはじめた。昨日、2人で作った曲だ。この曲にはオババの言葉が入っている。

ちょっとねえ。かゆいんだよ。なんかね〜。ここ。ほら。ここなんだけどね。よく見て。うひぃぃ〜。でもね〜。ここだけじゃなくてね〜。ほら。いろいろかゆいんだけどね〜。うん。そう。ここがね〜。バカ、トオル、そこじゃないよ。そう。そこ。そこ。う〜ん。いいねえ〜。でもさあ。やっぱり一番かゆいのはここね〜。ここ。ここ。もう。すごくなっちゃった。う〜ん。いいねえ。かゆい。かゆい。あ〜。もうたまらないよ。ねられないよ。虫がね〜。いてね〜。ここじゃないよ。うん。ここじゃないから。家だよ。家。うん。そうそう。家でね〜。カとかダニとかゴキブリとか。へへへ。そうね〜。ゴキブリは刺さないけどね〜。あ。でも、かまれたことあるよ〜。ううん。ちがうちがう。うん。ホントよ。ホント。ほんとの話なんだけどね〜。台所でね〜。え、オス?メス?知らないよそんなの。どっちでもいいじゃない〜。え?お。おおおお・・・・・・。

オババの言葉に合わせて、眠気を感じさせるエコーの入った音がかすかに揺れながら続いていく。多重に音が広がり、意識が遠く、心が軽くなっていく。レコードは硬い。硬すぎて踊る気にはなれない。レコードって、割れたりするし。割れるんだぜ。規律にのっとった規則正しい数々の音像が、シャッフルされて、溶けだして、フロアに流れはじめていた。やわらいで、ほどけ、和み、融源一体、命の源となった、ひとつの波動、精神のヴァイブだ。溶けだした音像がフロアに充満して、ひざの高さまでたまっていた。だんだん増えていく。温泉のようにその場所に浸かる。心のリュウマチによく効くいろいろな成分が体にゆっくりと染みわたる。うわー。フロアがゆれる。たゆたう。エネルギーの洪水だ。すごいぞこれは。フワフワだ。ついていこう。いろいろな所までついていこう。いえーい!扇風機のようにも見えるスクリューが回転する台の上に、ガンジャがレコードを載せた。そして回転するレコードを木の枝で叩いた。音がゆれ、そしてこすれる。おれの声が聞こえた。いつ録音したのだろうか。
きょきょ。きょきょきょきょきょーも。きょっ!きょっ!いつもとおなじなんだから。きょっ!きょっ!きょきょきょきょきょきょ!てき、てててててててててててきとうに。ながしちゃって。ながしちゃって。なーなーなー。がーがーがー。ながし。きょっ!きょっ!きょきょきょきょ。てきとうにてきとうに。
なぜか音像が体になじむ。自然なリズムだ。湿った空気を感じる。湿度の上昇。室温の上昇。やさしい雨が降る。ガンジャが次の曲をかけた。ダビロンモーニング。明るい空。獣たちの咆哮。うごめく空気。草原の中で踊っているような気分だ。ダブが覚醒していく。全ては夢のようだ。ガンジャが息を吸いこんだ。ガンジャがフロアに広がったみんなのだるさ、嫌な感じ、もうどうでもいい感じを飲みこんだ。おなかの中で醸造して、発酵して、溜めこんでいく。ガンジャはゆっくり口をあけ、ゲップのような、ため息のような、うめき声のような音を出した。その香りは、世界中の全ての果物を含んだようにフルーティーだ。南国の楽園。悦楽の境地。

小説「ガンジャ!」