ダークロHP
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私はなぜドイツ語で優を取れたか


ある日、私の卒業した文学部に行ってみたら、生協のとなりのミルクホールでパンと牛乳を売っていた。まあ、当然といえば当然だけど。ミルクは、ミルクホールで、買うよね。だけど、学生運動の時代から、そこには学生運動家が占拠しつづけていて、政治のビラを印刷していたのだ。講義の間の休み時間にアジ演説をする学生達の出入りする場所で、ドアにミルクホールと書かれてある部分が不思議だった。私の在学時にも、彼らはいた。そこは文学部内でも異質な空間だったかもしれない。だが、ミルクホールでミルクを売っているこの状況も、私には異質に思えた。

しかし、よくもまあこの大学を4年で卒業できたものだ。あんなに勉強しなかったのに。卒業までに8年かかった友人も2人いたが、資質的には私も同レベルだ。たぶん、運がよかったのだろう。その証拠に成績表を見ると、1度も勉強しなかったドイツ語で、優が2つもついている。

1年生は、週2コマ(1コマは1時間半の講義)の英語のほかに、週4コマの第2外国語が必修だった。第2外国語は中国語かドイツ語かフランス語を選ぶことができた。私はドイツ語を選択したが、どちらかといえば日本語を教わりたかった。もう一度あいうえおの段階から学びなおせば、日本語的にも何か新しい発見ができるかもしれない。

それにしても、この語学の講師陣は、みんなえらく熱心だった。みんな必修だから講義に出ているだけだと気づかないくらいの熱心さだった。学部外の講師が多かったせいで、空気が読めなかったせいもあったのだろうけど。だから1つの授業ごとにかなりの予習が必要だった。私はほとんど予習をせずに講義に出ていた。なんで日本文学を学びたくて入学したのに、こんなに外国語を勉強する必要があったのか、当時の私には理解できなかった。未だに分からないけど。

私は詰め込み型の学習は、もうできなかった。予備校で1日10時間以上勉強したので燃え尽きたのだ。もっと違う種類の勉強をしたかった。私のドイツ語の実力は、それはもうひどいものだった。私の回答を聞いて、普段はクールなドイツ人の教師が腹を抱えてゲラゲラ笑うくらいだった。立ってられないくらい笑われたこともある。ドイツ人の教師に顔を覚えられるのも早かった。

教育実習で、中学校に行った時にもこの実力が発揮された。英語の授業を見学していたら、いきなりカーペンターズの歌をみんなの前で歌わされる羽目になった。歌詞カードを見ながらテープの歌にあわせて歌うのだ。しょうがないので英語の実力をごまかすために踊りながら歌った。爆笑物だったようだ。生徒にしてみたら、知らない大人が来て緊張している所を、いきなり踊りだされたのだから、無理もない。でも、コミュニケーションなんだから、怒られるより、はるかにいいだろ?

嫌々ながら講義に出つづけて、12月になった。後は後期のテストを残すだけだ。テストが近くなったので図書館で勉強をしようかと思った。図書館は隙間なくビッシリと学生で埋まっていた。養鶏場のようだ。ニワトリたちが狭い檻の中でいろいろな餌をつつきながら、金の卵やら普通の卵やらフンを排出していた。しかたなくラウンジに行ったがうるさくて勉強どころでなかった。そのうちにサークルの先輩達がやってきた。
知ってる?今年もストがあるんだって。
ええ?またやるのぉ?
2年おきごとにやるのが通例だけど、自治会の人たちが気合入ってて、今年もやるみたいよ。
今年もテストが中止かぁ・・・。
「え?」
最初は無視して教科書を見ていたけど、思わず身を乗り出した。
「ストってなんですか?」
と私は聞いてみた。
なんでも学生運動の人たちが1月上旬のテスト期間中に大学をのっとって、テストつぶしをするという。

テスト期間中の1番の山が、ドイツ語イとドイツ語ハの合同テストだった。会話を重視する講義で、1つのテキストを教授とドイツ人の教師が週に1コマずつ教えていた。このテストを落とすと来年も2コマ勉強することになるのだ。来年のドイツ語は週に6コマになってしまう。さらに前期の終わりのほうで教授が入院してしまい、前期のテストがなかった。普通は前期と後期の点数の平均で成績が決まるのだが、この2つの講義では今回の点数だけで決まってしまう。ストになれば、日程的な問題から再テストはまず行われない。この情勢に対応して、テストではなくレポートで済ませるクラスも出てきた。だがドイツ語イとドイツ語ハはテストを行うようだ。私は何一つ勉強していなかった。何としてもこのテストはつぶされる必要があった。

だんだんストになりそうな雰囲気が、自治会の学生から、伝わってきた。自治会のミルクホールの学生は、いつものように講義の合間に中庭でスピーカーでアジ演説をして、講義の前に教室でビラを巻いて演説しつづけた。「ストライキ」という言葉も、彼らの看板や演説に現われはじめた。

何日かして、池袋で友達の参加している第9の公演があった。その帰りに池袋の友達の家に行ったらSさんがいた。友人とSさんは、コタツで向かいあいながら、背中を丸めて政治新聞を読んでいる。焼酎とジンのボトルがコタツの上に置かれている。Sさんは第1学生会館を仕切る団体の副幹事長で、文学部にもよくいた。第1学生会館は、サークルの部室がいくつもある、築40年の4階建ての建物だ。そこにはミルクホールと同じように、学生運動家が入りこんでいて、ビラを印刷したり会合したり学園祭の運営をしたりしている。彼らは夜中になると、なぜかバットを持ちながら大学の周りを歩き回っていた。野球の練習をしていたのだろうか。日中は学生会館の周りを「公安」というおじさんたちが見張っていた。Sさんと私は顔見知りだった。私は学生運動をしなかったが、学生会館のサークルに入っていると、いやでもSさんと顔を合わせるのだ。長唄研究会の部室にいると、Sさんがビラを持って入ってきて、いろいろと政治の話をする。私はその合間に漫画研究会に行くとまたSさんが入ってくる。そこを抜け出して歌舞伎研究会でタバコを吸っていると、またSさんが入ってきて、「君はいくつサークルに入ってるんだ?」と言われるのだ。

そのSさんがなぜか友達の家にいた。その友達はいろいろと興味深い人を家に呼ぶのが好きで、その範疇にSさんがいたのだろう。私は学生運動家と酒を飲む機会にありつけたわけだ。Sさんは、思想を外して考えると、なんとなく気軽で話しやすかった。自分の行動を客観視して笑えるようなユーモアを持っていた。だから会話の相手としては、なかなかよかった。どこかで自分を放さないと、突飛な行動はできないのだろう。
「聞きましたよ。ストのこと。すごいっすねぇ」
「すごくないよ。いろいろ人手が足りなくてね」
「でもテストをつぶしたりするんでしょ?」
「昔はもっとすごかったんだ。入り口のスロープの所に椅子と机でバリケードを張って入れなくしたよ。今回は無理だろうけど」
「全部のテストをつぶすんですか?」
「場合によるね。今回は予定に入ってなかったから、人手が足りないし。」
「語学とかは?」
「場合によるよ。ストに対して物分りのいい教授もいるんだけど、語学って、学部外の講師を雇ってるだろ?ほかの大学じゃストなんてやってないから、理解してもらえないんだよ」
「ドイツ語イの教授なんかはストに対して理解がありそうでしたよ」
「本当?」
「はい」
その後ユーゴスラビア情勢の話になった。ドイツの関わりとか。私はあまりユーゴスラビア情勢について興味がなかった。あの情勢の中で、私が唯一興味深かったのは、ミロシェビッチ大統領の息子、マルコだ。マルコは自分の趣味に合わせて、市民には必要のない宝石店やブティックやテーマパークを国中に作った。お子様ランチならぬお子様ランドを所望したのだ。そして大統領の失脚と同時に亡命した。マルコはまだ元気なのだろうか。

ドイツ語イとハのテストの日が来た。大学に入ると、ストライキの人たちが大教室から200人くらいの学生を追い出していた。いつもは追われる立場が、この瞬間だけ追う立場に逆転していた。もしも彼らが政権を取ったら、こんなふうに市民をいろいろな場所から追い出したりするのだろうか。なんだろう、人間って。真冬の朝日を浴びて学生の体から湯気が立ちのぼっている。なかなかの迫力だ。ストライキといっても、普通の学生がテストを放棄するわけではなく、学生運動家がテスト会場に押しこみ、普通の学生と教授を教室から締め出すことによって行われていた。なんとなく無理やりな光景だが、当時の大学を仕切る学生運動家たちの活発な活動、恒例行事となったストライキに対する教授連中の理解、テストがなくなって喜ぶ学生と怒る学生の人数の差など、微妙なバランスの元に、実現可能だったのだろう。別の大学の学生運動家も応援に駆けつけているようだった。テストの開始寸前にいきなり解散させられるドラマチックな光景が所々でくりひろげられた。学園祭の第2部みたいだ。1月の寒い朝。何か起きるにはちょうどいい時間だ。何も起こらないままテストが始まるだけでは、ちょっと、もったいないだろ?

教室には珍しく友人が勢ぞろいしていた。10年経った今も、彼らのうち2人の出席番号を、私は暗記している。出席カードに代筆してやるのに必要だったから。私は一番後ろの席に座った。テストの始める直前に、自治会の人が入ってきた。Sさんとその仲間達だ。いつもは何の感慨もないけど、この時ばかりは「待ってました!」という感じだった。教室中に不思議な緊張が走った。Sさんには、テストをつぶし続けてきた自信と風格がみなぎっていた。彼らは壇上でストの宣言を行い、その後ドイツ人講師と口論になった。ドイツ人講師は、何事かという顔をしてSさんを見て出て行けという。「このテストとは何も関係ないです」「今はテストの時間なんです」と、丁寧な言葉使いが印象的だ。はじめて日本語でケンカしたのだろう。退院直後の、噂によるとまだ入院中の教授は迫力がないが、じっとしてテコでも動かない貫禄がある。ぼうっと教室の学生は彼らの言い合いを見ていた。

いつの間にか、大学の買い取った病院や大学の土地を使ったホテル建設の話から、ユーゴスラビア情勢と国連についての演説に切り替わっていった。「みなさん!」と呼びかけているのだが、この熱い演説が、ユーゴスラビアどころか教室にまるで届いていなかった。希望を胸に、はるばるドイツから漱石と鴎外を勉強したくてやって来た学者が、この信じられない出来事におろおろしていた。このままだとみんなに単位を与えてしまうことになる。この1年の講義に何の意味があったのか?いったい彼らは何者なのか?なぜ自分のテストがつぶされるのか?その理由はユーゴスラビア情勢だ!もう1人のほうは、病気をおして、わざわざやってきたところをこのありさまだ。 何としてもこのテストは行われる必要があった。

なかなか情勢は厳しい。教師が2人もいるのが問題だ。どちらも引く気はない。このままだとテストがおこなわれてしまいそうだ。
「応援を呼びに行ってくる」
私は席を立って、自治会の本部に向かった。本部は大学院生専用のラウンジにあった。私はこの時、はじめてこのラウンジに入った。今考えると、それ以降ここに来たことはない。ここをサークルの拠点にするのは禁止されているので、どこの机も綺麗だった。同じ大学とはとても思えなかった。アカデミックな議論が交わされるにふさわしい場所だ。そこに見たこともない2人が座っていた。2人とも小汚いジーパンとネルシャツで、ボサボサの長髪だった。1人はバンダナをしていた。こぎれいでおとなしすぎる大学院生の中で、ワイルドな2人がひときわ異彩を放っていた。ストライキ本部とゲバ文字で書かれた看板で周りを囲み、机にはビラがあふれていた。
「人に助けを求めるのがストライキじゃないんだ」
「学生の自治によって、ストは行われるんだ。君ががんばれ」
本部の学生は、ふんぞり返って答えた。目が据わっていた。
「そう言ってる場合じゃなくて、ちょっと一緒に来て、もっとガーンと行ってほしいんですけど・・・」
「君がやるんだ、君ががんばれ」
「座ってる場合じゃないですよ!」
「君に任せた」
これ以上話が進まなかったので、私は教室に戻った。

教室では、ユーゴスラビア情勢と国連についての演説が続いていた。こうなったらSさんと私の2人で盛り上げていくしかない。とりあえず大学内の情勢に焦点を絞るべきだ。私は挙手した。
「あのー。すいません。議論をもうちょっと筋道だてる必要があると思うのですが・・・」
「勇者だ、勇者が現われた・・・」
とささやく声がクラスの連中から聞こえた。
「なに?」
今まで見たこともないSさんの顔だった。ものすごい目つきでにらまれた。
「もういい!」
バンと机を叩いてSさんとその仲間達が猛然と教室を出て行った。

「行っちゃったよ・・・」
思わず声が出た。自分の意図した逆の方向に、シナリオが動いた。 私の友達は黙って残念そうな表情を浮かべていた。
「あーあ。おまえの一言でキレたんだぜ。おまえ、敵に回しちゃったぞ。こわいなー。どうすんだよこれから」
面白がってる奴もいた。

ことの展開に動揺したままテストが始まってしまった。外では他のクラスのテスト潰しが続いてザワザワしている。たぶんあそこのクラスでは成功したのだろう。なくなるものだと思いこんで、一度も勉強をやらなかったせいか、まるで分からない問題ばかりだ。テストの最中、私の目の前の席に、病気の教授が弱々しく座った。たしかに間近で見るとかなり体調がすぐれないようだった。10分くらい、教授は慈悲深い笑顔でこっちを見つづけていた。口答テストでは一列に並んで順番を待った。列とテストの場所が近いので、並んでいる間にテストの会話がよく聞こえた。適当にゴニュゴニュ、前の学生の回答と同じことを言った。その回答を聞いても、ドイツ人はゲラゲラ笑わなかった。物分りのいい表情で笑った。映画にも負けない、なかなかの笑顔だった。言葉をこえたコミュニケーションを図るかのように。私にとって、ある意味それがドイツ語だったのか?

その夜Sさんから電話があった。
「ごめん。君のことを誤解してたよ。あとで君が本部に応援を頼んだってことを聞いてね」
「あの方向じゃまずかったですよ。寄り道に外れすぎだし。議論を戻さないと」
「うーん。でも、あの雰囲気じゃ無理だったよ。学生が乗り気じゃなかったし。物分りのいい教授連中なら何とかなるんだけど、語学クラスは、厄介なんだよ」
何としてもこのテストをつぶす必要は、たぶん彼にはなかったのだろう。

「おまえ、ドイツ語どうだった?」
2ヵ月後。成績発表の時、友人に電話した。
「おれ、なぜかドイツ語イとハが優だったよ!」
「おまえもかよ!なんだよそれ、おれもだよ!」
「あっはっはっはっは!おまえ勉強した?」
「いや全然。」
「おれもだよ。きっとストを中止させたご褒美じゃないの?あの先生、テスト中におまえのところに行ってただろ。それしか考えられないよ」
「じゃあ、なんでおまえも優なの?」
「きっと、おまえの席の周りの連中も全部優にしたんじゃねえの?もしかしたらあのクラス、全員優だったのかも」

こうして1年生のドイツ語が終わった。でも次の年にもドイツ語が4コマあって、私は4年生になるまで、2年生のドイツ語の講義に出ることになった。

ハッピーエンドをどこかに見出そうとすれば、次の入学生から、第2外国語の講義が週2コマになったことだろうか。前々から第2外国語のコマの多さは、教授会でも議論の対象になっていたのだ。残念ながら2年生になっても私たちの学年の第2外国語は週4コマのままだった。

1年早く決めてくれよ!


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