瞑想2008 ダークロHP
2009.01(2)

夢の島熱帯植物園へ

キレイな花を写真に撮りたくなり、夢の島熱帯植物園へ。新木場の運動公園にある巨大な温室。きれいな花を咲かせ、緑の葉を繁らせた別世界。清潔感のある施設。清掃工場のゴミの焼却熱を暖房のエネルギーにしている。冬に撮影で行くのにオススメ。

怒りながら話すより、笑顔がいい。悲しい時ほど笑顔。怒る時でも笑顔。怒られても笑顔。殴られても笑顔。笑う時ですら笑顔。だんだん自分の感情と感情表現がわからなくなってくる。ストレスが増え、ハゲが増え、シワが増え、あの謎の民族「ハゲシワ人」になる。「もう限界」これがハゲシワ人の挨拶。ストレスが頂点を極めると「ストロベリーハゲシワ人」になり、髪の毛にブルーベリーの香りがつく。ハゲシワ人の態度は卑屈で無礼。激しく、幸せ。それがハゲシワ人。


この件について、残念ながら、私にはなんの感想もありません。いまだ私は勉強不足であり、なにかが目の前で語られたことはわかりましたが、まだそれを認識できていないのです。認識できて初めて私は、空想でもてあそび価値をつけることができます。認識は錯覚であり、そのものを捉らえることにはなりません。認識は甘えであり、自己満足でもあるのかもしれません。私は見当違いの方向を見ているのかもしれません。認識できないほど、私はそのものを捉らえているのかもしれません。いまだ私にはそういった認識ができていないので、なんの感想もありません。


休憩。ドーナツを食べながら、カフェの窓際で、たそがれる。青空と白い雲を背景にして、すごくキレイに夕日というものは落ちていくものだな。オレンジ色に。さわやかに。ことわりに満ちた私の断片。言葉。季節と共に芽生え、盛り、枯れおちる。その下で枝を張りめぐらせ、脈々とみなぎらせる。葉の流れ。枝の広がり。美しき均衡。私の進むべき道。

さらにキレイな花を撮りたくなり、神代植物園へ(p2199からp2246の写真)。調布市にある都立の植物園。どこまでも広い。一年中楽しめる。冬枯れの中、ベンチに座っているのも落ち着く。広いバラ園が印象的。梅林も広い。温室が楽しく、最後のベゴニアはすごくキレイ。

ざわめき、点滅、発作、咳、廃棄ガス、汚れた空、行列、配列、羅列。都市を成り立たせている必然性。全てが必然性。ガラガラの電車の中で、日に当たりながらぼうっとするのは、とても気持ちがいい。ゆらゆらと揺れる意識の中で、目的地に到着。人によって様々な形、内装の部屋に住んでいて、テレビの向こうで現実世界が写しだされている。テレビの放送によって動き、楽しむ。ゲームと同じ構造だ。ゲームでのプレーに応じて、部屋の形や内装が変わっていく。

数字は静かでおとなしい。ひっそりとたたずみ、主張しなければ要求もせず、身分や階級もない。迷った時、人に聞くよりも、たまには数字に聞いてみるといい。数字はかつてそこにあった。今もそこにある。これからもそこにあるだろう。偶然や必然。確率や統計。時間と空間。いつか時間の概念も性格も仕組みも、もしかしたら量子化されるなどして、解明される時が来るだろう。それまでは、時は流れるだけでいい。時には黙り、時には語らいながら、静かに時は流れる。そこでは静かに時が流れていく。

いつもの深夜2時。酔った男の口笛、仕事の失敗、消防車のサイレン、オートバイのマフラー音、窓からの冷風のせいで、なかなか眠れなかった。こんな場所で横たわる私に違和感を覚える。不思議だな。この広い世界の夜空を、意識が浮遊して飛んでいく。なぜ、自分は自分でなくてはならないのだろう。愛というのはDNAの構造的特質なのだろう。人間は、DNAが入った、たんぱく質にすぎない。自己保存本能。そして宇宙の生成と消滅。自己保存本能は、宇宙の特質なんだろうか。「時は過ぎいく。時が宇宙で作られてしまったが、DNAは時すらを超えて常に存在し続けなければならない」存在の5次元感覚。クォーク相互作用理論は関係あるのか。精神の統一理論もあるのだろうか。そもそも生命というのは宇宙の必要条件なのか。「小さな可能性の元、生命が存在している。宇宙に散らばる可能性も少ない。時空が生み出した世界の中で、確率的に含まれる小さな存在でしかないのかもしれない」息苦しい。私は寝返りをうつ。「そんなこと考える必要はない。君は朝早く起きて会社に行けばいいだけだ」と頭の片隅で声が聞こえる。私はそれを無視する。組み換え。変異。組み換え。変異。私は自分の意識を進化させていく。確率的な出来事が宇宙では起こっている。起こっていく。自己保存本能を持たないDNAも確率的に生まれている。しかし、自己保存本能を持たないため、その個体は時と共に消滅する。自己保存本能があってしまったために、それは続いていく。確率的に生命が続いているように見えるだけかもしれない。DNAが宇宙の本質ではなくて、たまたま自分のコピーを作ろうとする存在が生まれてしまったために、それが時を経ても続いているだけなのかもしれない。全てのDNAの営みは、確率的な問題。人生も偶然の産物。DNAを変容させるウイルスが入りこむだけで、その種族が絶滅する可能性もある。人生だけの問題ではなくて、遺伝的アルゴリズムの問題。たとえば素晴らしいプログラムを作り出すためには、プログラマーを使うのではなくて、遺伝的アルゴリズムを使ってプログラムをコンピューター上で独自進化させれば、すごいプログラムが現れる可能性がある。全ては確率の問題。偶然の本質。偶然の特質。やがて意識は拡散し、眠り。また次の日がやってくる。

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