瞑想2008 ダークロHP
2008.12(3)

大きく張りめぐらせた枝を広げながら、静かに佇む。

寒くて曇った朝。彩度がなくて、都会を撮影するのに最適かもしれない。くだらない物をでたらめにカメラにおさめ、アーティスト気取りで鼻唄まじりの朝の出勤。空は曇り空。私の心は雨模様。寒さは私の頭を透明にする。枯れ木のように見える冬の木々は、張りつめていて、どこか安らぎがある。大きく張りめぐらせた枝を広げながら、静かに佇む。春になれば、また萌える緑葉を繁らせてくれるだろう。流転する流転する流転する。


もともと身体が弱いので、自らの有限性については自覚している。能力もそれほどない。自分の能力には限界がある。世の中に迷惑をかけずに生きていきたい。朝。想像力が震える。7時過ぎに起床。ぼうっとしながら出勤。河を流れる小船のように電車が揺れる。うつらうつら。静かな朝である。仕事は、朝はすごく忙しい。昼以降は単調。夜はモツ鍋で忘年会。業績など砂上の楼閣。すぐに吹き飛ぶほどもろいものだ。ちょっとでも業績が悪くなれば、どんな扱いを受けるかも、リアルに認識している。かなりセンシティブなやり取りをたたみかけて、進んでいるだけだ。ネットワークの砂漠の中を、必死の形相で一歩一歩進む。私は緊張していた。前のめりになっていた。倒れるためではなく、進むための前傾姿勢。


恵比寿で動く歩道に一人。佇む。動く歩道。外は、雨。風に、揺れる。そして、シャワータイム。雨飛沫のように、人々が通りすぎる。

朝起きるとなぜか石井さんから電話があったので、一緒にラーメン屋に行き、ワンタンメンをおごってもらう。ジャガーは乗り心地よかった。石井さんはアゴヒゲを伸ばし、咳も止まった。


餅を一つ食べ、濃いお茶を二杯飲む。ぼうっとしていると、いつのまにか出勤時間。いつも、ぼうっとしている。よどんだ目をした我らサラリーマン。濁ったフィルターを通したこの世界は悲劇的だ。あらがう術を知らず、一直線に会社と家を行き来して、自分がいつどこにいるのかを忘れていく。朝がやってきても、朝を知らず。夜がやってきても夜を知らず。無感動、無関心、無感覚に日々をさまよう。9時前に着き、会社の近くを散歩する。優しい風は、吹いているか。仕事はあっという間に時間が過ぎる。単調な作業。作業オブ作業。キングオブ作業。


なかなか朝起きられない。寒いので地球に暖房つけたい。あ、温暖化という名の暖房はついているのか。ユッタリズムで出勤。出勤と借金って、発音が似ている。電車はガラガラ。会社もガラガラかと思ったら、そうでもなかった。営業日だから、当たり前か。言葉の電力。私、平泳ぎ。

暇だったので神をイメージしてみた。神というのは私にとって灰色の数式で現せられる無機質なもので、人間の精神的なインフラであり、いうなればコードではないか。権力者が権力基盤として精神のインフラ施策をした結果、歴史的にお互いの宗派が憎みあう事態になっただけで、そもそもの発端は同じものではないか(旧約聖書)。人間がちゃんと生きられるような「考え方の仕組み」があるのではないか(親鸞とルターの類似性)。全ての宗教に共通するような統一理論があるのではないか。人間は自分の体以上のことはイメージしづらいし、科学でも重力の仕組みや宇宙の生成はいまだわからない。でもそれを認識するための構図は必要になってきてしまうよね。かといって、歴史的な全ての宗派を私は尊敬するし、隣人愛とか革命的な思想だよね。
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