瞑想2008 ダークロHP
〜2008(1)

あ、なんだか。

2008年1月。あ、なんだか。言葉が出てこなくなった。頭の中の泉が枯れた。リハビリのようなもので、しばらくの間、文字を書きこみたい。ついでにデジカメで撮った写真も載せたい。デジカメは1眼レフではないコンパクトカメラ。ハッキリ言って自分でもなんで撮ったのかよく分からない写真も多い。ハッキリ言ってなんで生きているのか分からない私のそういう写真を見ても、あなたにはよく分からないかもしれないが、そういう場合はウインドウを閉じるかお気に入りのページでも開いてもらいたい。それが資本主義の論理というものである。ほとんどピンボケだが、私自身も同じようにピンボケなので、これは技術論と言うよりは人間論まで踏みこんでしまうはずであり、しょうがないことなのである。まずはいつの時代、どこの場所だったか覚えていない2008年以前の画像。1枚目の写真は、すぎうらあきら君が持ってきてくれた花だな。私は君の友情をとてもありがたく思っているよ。


発想の泉が枯れると、自分の都合のいい妄想ばかりが走りだし、そのまま退化していく。カラカラの心がガラクタで満たされてゴミがあふれていき、やがて埋めたてられる。エントロピーとはいえ、それはちょっとまだ早いな。掘れ。掘れ。学べ。井戸を掘れ。出てくるのは泉かガソリンか。シャンプーとリンスは同時になくならない。洗剤と柔軟剤も同じタイミングではなくならない。すなわち、世界はまだ続いていくのだ。


運命のチャリティショー、腕を振って、みなさん、こんにちは、反響する金属のコップの中の叫び声、無駄に飛び散る、魂の意味が、無駄に混濁した脳みその中で、真夜中まで、元気よくあいさつして、みなさん、ごきげんよう。デパスとレキソタン、どっち飲んで寝ようかな。サイレースを飲んだらそのままおきてこなくなりそうだ。

語りとして成立していないような語り。存在感のない存在。言葉以前の意識。全ては目の前で証明されている。様々な手がかりに気づくことのできる感受性。思考をまとめあげることのできる精神力。仮説を撤回できる思考のフットワークが必要。感情は、関係ない。まだまだ、現実認識からは、ほど遠い。

私の働いているビルの地上は、たまに強風で立ち入り禁止になる時がある。ビル風がすごいのだ。今日もすごかった。朝、外を見ると雨が上に降っていた。上昇気流に乗って飛んでいくのだ。そして23時40分。帰ろうと出口に立つと嵐になっていた。驚くほどの強風。みんな広場を避けて、ビルの脇を通っていく。1人、50才くらいのおじさんが広場を突撃したが、傘が一瞬でグシャグシャになって、そのままカサを持ちながら、スーツを破れんばかりにビリビリさせながらブオオオッと残り少ない髪の毛を全部吹きとばしそうになりながら、チョコマカチョコマカと一生懸命地下鉄の入口へ走っていった。見た感じ、命がけだった。終電に乗り遅れそうだったのだろうか?帰宅時の大冒険。その姿があまりにファニーだったので声を出して笑った。せっかくだから広場を通ってみることにした。カサをさしたとたんに折れた。傘を閉じた。風で吹きとばされるのか雨を感じない。追い風だったので最高だった。逆風だったらイヤだったけど。ひょっとして飛べるんじゃないかと何度もジャンプしたけど、雨よりも重いらしく、飛べなかった。私の心にも風が吹きはじめた。微風だったけど。風が弱くなって、警備員が2人後ろから来た。警備員も笑っていた。私は彼らから離れて広場から出ることにした。気づくと広場の周りが入れないようにロープで囲まれていた。立ち入り禁止になったのだ。自分の家に強風が吹くシャワーがあったら気分最高かもしれない。乾くのか濡れるのかよく分からないけど。
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